2014年6月25日水曜日

我が、蹉跌のオーディオファイル #02.
デジタル化に向けての

僕のような年代になるとLP盤を聴くことはけっこう億劫な作業になってくる。

LPをジャケットから袋ごと取り出し、中身を袋から出し、プレイヤーにのせ、傷がつかぬよう細心の注意をはらってアームを移動し、カートリッジの針をのせ、また仕舞う作業を繰り返す、カートリッジ針の塵取りと、重さのチェック、如何にも面倒だ。

LPをデジタル化してパソコンに保存さえすればLPレコードに針を載せなくとも何度でも気軽にパソコンから聞くことができる。

LPをデジタル化するのに重要なのはカートリッジとフォノ・イコライザーだ、アナログ音源がよければADコンバートしてデジタル化さえすれば、巨人軍の様に永遠に不変だし、良いDAコンバーターを選べば再生に問題はない。




EQA-333
まずは手持ちの中の比較的開発年代の新カートリッジGRADOELAC,STS445用にとフォノ・イコライザー、オルトフォンEQA-333を入手したが、印象を言うと「都はるみがこぶしを効かせて唸る」あの唸り節の様な音を聴かせてくれた、天下のオルトフォンがどうした事かと首を捻りたくなる様な音なので吃驚、
さっさと売り飛ばして換わりにK.S・WorksPhono-01を新たに入手した。



Phono-01

このイコライザーはモノLP再生のためにNAB・AES・RIAA(RIAAはステレオ)と三つのイコライザー・カーブが用意され、音楽を音楽らしく再生してくれるハイ・レベルの音造りが出来ている。

この手のカーブ変換可能なイコライザーアンプは数種類出ているようだが、なかでもPhono-01はとてもコンパクトで音が良い。
これにヨーロッパ系のffrr等のイコライザー・カーブが付けば文句なしに完璧と思われるので、自作の赤豚001(真空管イコライザー)に追加する事にした。


2010.08.02

2014年6月18日水曜日

我が、蹉跌のオーディオファイル#01
現装置にたどり着くまで


終戦から 65年が経った。その65年の間に日本は激変した。 
価値観が変わったのである。
終戦から暫くの間、町にはアメチャンの兵隊さんが銃の代わりにコダックバンタムを首からぶら下げて、何が面白かった のか、荒廃した街角や、もんぺ姿の女達の写真を撮っていた。奇妙な程陽気な人達だった。
東海林太郎に代わって町にはセンチメンタルジャニーやテネシーワルツが流れ、パンパンなどがけっこうな羽振りでGIの腕にぶら下がり、真っ赤な唇に洋モクを咥えたふてぶてしい振る舞いに眉をひそめる者もあったが、お 陰で多くの娘達が救われた。
上野の地下道をはじめ至る所にルンペンや浮浪児が屯し闇屋が横行し、人々の心は荒廃したが、不思議な活気が国中に充 満しており、朝鮮特需で奇跡の復活を遂げ、我々日本人は豊かになり、やがて土建屋が総理大臣になって、また価値観が変わった。

終戦直後、まだ音楽など聴く余裕は我々国民には無かったが、当時レコードといえばSP、若い諸君にはピンと来ないかもし れないが、78回転でぶんぶん回るレコード盤に竹や鉄の針で音を拾い、ザーザーいう雑音の中から音楽を聴き分ける。超アナログの世界しかなかった。
片面の演奏時間はせいぜい5分だから、頻繁に裏返したりレコードを換えたり、
と てもじゃないが落ち着いて音楽を聴いては居られないのだが、この時代にはこれしかないのだから、それを特 に不便とも煩わしいとも思わず、音楽鑑賞の妨げになるものは何も感じなかった。適応とはそういうもので、より便利なものを知りさえしなければかなりラフな 環境にも人間はちゃんと順応するように出来ている。
アマゾンやボルネオの密林深く住み着いた人々を不幸と思うのは文明(と云っても多寡が知れているが)の中に居る我々 の思い上がりと勘違いでしかない。

我家にも数枚のSPと電蓄があった。


 ワインガルトナー指揮する第9もその中にあり、8枚組だから第9一曲聴き終わるまでに16回立ったり座ったりしなければならなかった。
だから滅多に聴くことはなく、その分聴いたときの感動は何時も新鮮だった事を覚えている。



若者の間にはプレスリーやポール・アンカに始まったロカビリーが大流行。平尾昌昭や山下敬二郎、ミッキー・カー チス 等がポマードでピカピカに固めたリーゼントスタイルでひっくり返ったり、逆立ちしたり。ウエスタンカーニバルなどと云ってカウボーイ紛いの若者が(今じゃ 70のジジイやババアだが)大はしゃぎ、今迄とは一味違う音楽が次第に身近なものになり始め、SPからLP時代に移行した レコードは一気にステレオの世界に突入した。







NHKでステレオ試験放送(参照:http://homepage3.nifty.com/wedd/minpou.html) というのがあり、2台のラジオをご用意下さい。というので多くの家庭がラジオをもう一台買い、それを2メートルほど離して据え置き、片方は第1放送、もう 片方は第2放送にチャンネルを合わせ、さあ、放送が始まった時のあの目眩がするほどの輝かしい立体音が今でも忘れられない。
巷ではコンソール型ステレオが発売され、やがてコンポーネントステレオで自由に機器を組み合わせることが出来る よう になった頃から今迄は極限られた少数の音キチという奇妙な人種が次第に一般化し始め、互いの持ち物に羨望の眼差しを向け合い、電機メーカーと提灯持ちの オー ディオ評論家達の巧みな話術に乗せられ、悲惨な出費をする者が多発した。僕がこの人たちに担がれてこの世界に巻き込まれたのは昭和48年だった。

最初はパイオニアのスピーカーにサンスイのレシーバーTACー505、プレイヤーは何処のだったか忘れたがそれにSONYのカセットデッキを買った。数ヵ月後にはJBLサブリン、プレイヤーはTORENS(トーレンス)にカートリッジはEMPIRE(エンパイア)、FMチューナーはSONY ST-5000F、エアチェック用のソニーのオープン デッキ等に換わった。


オーディオ評論家を信用しなくなったのは彼らが異口同音に誉めちぎるJBLのがさつな音に起因するが、それはさておき、その1年後にはVITAVOX(ヴァイタヴォック ス)CN191Machintosh(マッキントッシュ)C-22、MC-275、MARANTZ(マランツ)10B,TEACのオープンデッキに換わった。
昼はレストランで御飯だけ頼み、塩をかけて食べた。


やがてマッキンのブワブワした音が気になり始め、色々物色したけれども、これといっ たものに当たらず、ものは試に本郷の小さなS・ラボに飛び込んで実情を話すと、答えは明快で、C-22とMC-275はそういう音なのだと云う。


VITAVOX CN191もオリジナルその儘では低音がぶわつく傾向がある。
「だからお前は悩むべくして悩んでおるのだ。お気のどくなことだ」だと。
そう云うかい。ならば買おうじゃないか。ということになってこのS・ラボの アンプを買った。それにプレ イヤー装置Garrard(ガラード) 301とOrtofon(オルトフォン)RMG309SPU-A
ご飯が小盛りになった。


それから35年このシステムを持ち続けた。


このシステムで鳴らすレコードの音は一つの完成をみている事は確かで、大概何処の音を聴いても羨ましいと思ったこと は無かった。
無論35年間ただ置いたままで聴いていたのではない。小さなしかも金のかかる改良をどれだけ繰り返したか知れない。


オーディオ・マニアの大方はすんなり良い音に辿り着いているようなことはなく、人知れぬ泣き笑いを味わっているものだ。

この35年の間に、オーディオ界はデジタル時代に突入していて今やレコードなどはすっかりCDに駆逐され、山野楽器にもヤマハにもレコードなど売って いない。第一レコードを造っている所が無い。
断言してもよいが、その現在にあってまだ、CDの音はレコードの音に遠く 及ばない。
我家にあったSPの第九をCD化したものがあったので過日買い求めたが、雑音だらけのSPの方が 遥かに音楽的なのに吃驚したことがある。それ以来CDはずっと敬遠してきた。

僕 はものぐさである。この慣れ親しんだレコード音楽の唯一の欠点は、SP時代には5分に一回レコードの交換に席を立 たねばならなかったこの面倒が、LPになって20分に一回になったとは云うものの億劫さに於いて大差ないことで、若干のプチノイズなどより遥かに不快なこ とだ。
CDに関して気が付いた事があった。市販のCDはどうにも音質に問題があるが、ならば音の良いレコードを自分でCD化したらどうなるか。


CDは最長80分まで録音可能だからLP1枚半、上手くゆけば裏表2枚分の収録が可能で、ならば80分は席を立たな いで済むではないか。


LPを録音して音の劣化が殆どないなら大いに利用価値ありと考えやってみたら、なかなかのものだった。惜しむらくはCDプレイヤーの質が占める要素が非常に大きく、その良質のプレイヤーの価格が矢鱈に高い。


も うひとつ、ただでさえ嵩張るレコードの収納スペースに同じ音楽を録音したCDの収納スペースを増やさねばならな い。写真の中にCDが重なっているのがあるがこれがそのはみ出し最中でどうにも始末に困る。その左の白い戸棚も中はCDで一杯。阿呆な話だ。こうなると唯 一の価値は車で良い音を聴く事が出来る。それくらいのもんだ。

そうこうしているうちにオーディオの大きな疑問にぶつかった。
素晴らしい装置を持ったのはまあ良かったとして、そういう装置で音楽を聴くときの此方の姿勢、聴き方が余り良い方向 へ行っていない事に気が付いた。
音質ばかりが気になって、音楽がそっちのけになるのである。


この傾向は装置が良くなるのに正比例しており、あの電蓄で聴いたSPの第9音質を云々レベルの音でない分神経が100%音楽に向っており、寧ろその姿勢が懐かしい。
でも今更電蓄でもない。
そこで普通の場合とは逆に極普通のステレオに戻した。


それが今回の写真にあるものだ。



スピーカーはWIGOのオリジナルボックス入り、30cmのフルレンジ
アンプはイギリスのMYRYAD(ミリヤード誰も知らないと思うが、数万円の安物)のプリメイン。

自作の真空管イコライザー赤豚001とOrtofon(オルトフォン)EQA-333,
プレイヤーはDENON(デンオン)、

カートリッジはOrtofonSPU-A,ELAC STS200S,STS322,MTS2A,STS455,GRADO XTZV,



そしてちょっと自慢で、今迄の様々な問題を一気に解決してくれたDAC(DAコンバーター)Venetor(ヴェネター)VT-DAC192-K,そしてパソコンは富士ゼロックス(富士通)のFMV。



ピンとくるところと来ないところがおありだろう。
特に値の張る機械は一つもない、ごく普通のステレオだからこの部分は簡単にお分かり頂けるだろう。解り難いのは、DACなど何処にでも転がっているから、特筆することでは無いし、パソコンて何だといったところか。


しかし諸君、僕の装置はそれほど時間をおかずにこのDACとパソコンとプリメインアンプ(メインアンプだけかもしれない)とスピーカーだけになるだろう。

全体をグレードダウンしておいて矛盾するようだが、この場合如何にしてレコードの音を劣化させずに良い音でパソコンに取り込むかという事と、取り込んだ良い音を劣化させずに再生するかという事が最大のポイントであり、経済の許す限りそこには最も注力した。
従って、カートリッジはレコード盤に合わせて選べるようにしてある。

1950~1960年代のレコードには当時製造されたカートリッジと真空管イコライザーがぴったりくる。モノレコードは当然ながらモノカートリッジという風に。
それ以降のレコードは物によって違うので、都度カートリッジとイコライザーの相性で選んでいる。要するに音源だけはきっちり造り込むということに気を使っている。が、しかし商売ではないからプロ機を持ち込んだりはしていない。
CDRもそうだがパソコンも録音に関しては不思議にどの機種も優秀で、カートリッジを中心とするプレイヤー・システムとイコライザーがある程度の水準に達していればとても良い音で録音できる。イコライザーは録音機器に直結するのが一番だ。


パソコンを馬鹿にしてはいけない。事、録音に関してはCDRに引けを取らない。


それどころか、音楽ソフトを使ってレコードの雑音だけを消すことができるし、CDRの録音時間は80分が限度だが、パソコンは無制限、指輪全曲だって連続録音できるから、それはその気になれば一度も席を立たずにこの長大な楽劇全曲を聴き切る事が可能だと云う事だ。僕は嫌だが勇気ある人は挑戦してみるのも一興だ。


この事は、好きな音楽を何時でも好きなだけ、手を煩わさずに聴いていられることも意味する。
マウスの僅かな操作で選曲も至って簡単。PC上の他の検索と同じだから分類仕分けが良ければ指一本で済む話だ。


そしてさらに、レコードの数千枚でもCDの数千枚でも全て外付けHDD(ハードディスク・ドライブ)に録音して何処へでも持ち運ぶことができる。収納スペースはこの小さな箱の中だから、我々日本人の住む家屋に最適なのは云うまでもないが、問題はパソコンの再生音。


パ ソコンをその儘アンプに繋いだのでは大方のオーディオファン、特にレコード派は納得できない筈だ。はっきり言えば鼻もひっかけまい。そして今迄のDACを 仲介してもまず満足な音にはなり難い。言い換えれば許せないデジタル臭さがどうしても残る。レコードファンとしては、この僅かなデジタル臭さが我慢できな いので、その結果の産物として、多くの女ども(女房や娘)を敵に回して女どもの大嫌いな武骨な機械とレコードの山に囲まれ針の筵に座りながら音楽を聴く仕 儀となってはいないか。


日本の家屋は年々小さくなっている。人口が都市部に集中するから特に大都市周辺はそうならざるを得ない。その狭い家に嵩張るオーディオ機器に+レコードとCDの山。


パニックは過密で起きる。最少単位の家族という集団だって条件によっては過密化し時に些細なことからパニックを起こす。あんた一人の家じゃないのよ。こうなると音楽も糞もありゃしない。
どうあれ、音楽は家族で楽しむものだ。お父さんだけの楽しみでは悲しくないか。
オーディオはコンパクトに纏めても充分良い音を出す事が出来る。これこそが腕の見せどころというものだ。


パソコンの再生音をどれだけレコードの音質に近付けることができるか。
この事は近未来のオーディオ事情を激変させるかもしれない。維新は目の前に来ていると僕は予感するな。


前出のDAC Venetorはその意味では吉田松陰のような存在かもしれない。

今迄のDACとは一線を隔する。恐らく開発時の方向性が普通の物と違っていたのだろう。兎も角レコードを録音したパソコンの再生音を劣化させないという、僕の目的にぴったり合致している。これはMP3に縮小しても殆ど劣化を感じさせないから驚きだ。
そして僕の機材は半分以下になった。


きっと後からどんどん西郷や坂本の様な、或いは戦後のアメちゃんの様な時代を換えてゆく後続機が出てくるだろう。


が、果たしてVentnorを凌駕出来るだろうか。
それは解らないが、どうあれオーディオ事情はここらで大きく様変わりしそうだ。


無論ちょん髷は残るだろう。気難しく額に皺を寄せて、スピーカーに頭を突っ込んで高音がどうした、低音がどうしたと、でもこれも罪のない楽しみだからそれは それで一向構わないし、そうした音の変化を楽しむ趣味だってあるのだから結構なことだが、音楽を聴くのが目的なら音弄りは程々の方が良い。


音楽は豊かな気持でゆったりと余計な事に気を廻さずに聴きたいと僕は思うな。
音に関して一つだけはっきりしている事がある。人の心を和ませるのはデジタル音ではなくてアナログ音だということだ。明らかに人間の生理にはアナログ音が適している。それだけは確かなことだ。
その点を考えると、このメーカーの開発思想は時代の先を読むだけでなく、インテリア性も含めて人間工学的なところまで実は非常によく考えられていると思う。
大メーカーが特性ばかりを追求するなら、現代の技術をもってすれば測定器を満足させるアンプやデッキを造るのはたやすいことだろう。


CD時代になって目立つ事は人間の生理現象を逆なでするような、こうした特性の良いデジタル音が急増した事だ。


知らないうちに気持ちが荒れてくる。


僕は超の付くアナログ派だという事は改めて云っておかねばなるまい。


そして、少なくとも僕のオーディオは今後Ventnorを中心にして更に変わってゆくだろう。
もっとも、音の嗜好は飽くまでも個人差のある事だから、こうした僕の言葉に惑わされてはならないが、一聴の価値はある。大いにある。


Venetorのショウルームにあるコンソール型ステレオの雄DECCA Decola(デッカデコラ)
Venetoを介してどの様な音楽を奏でるか確かめてみるのも一興だ。

貴方が敏感な方なら時の流れを実感できるかもしれない。


2010.07.17