2014年12月18日木曜日

我が、蹉跌のオーディオファイル #12
FMチューナー

FMチューナーはマランツ♯10Bに止めを刺し、未だに音質でこれを凌駕するものは出てきていない。

三十年程前、どうしても金が必要でこれを売ってしまった。後悔先に立たずである。
今となっては高価過ぎてもう一度買おうという意欲が起きない。
売ってしまった当時、当初から所有していたソニー5000Fは10Bの鮮烈な音の記憶のお陰で聴く気にならず、それから三十年ただ置いてあっただけで殆ど聴いていなかった。

先日音を出してみたらバサバサ雑音が凄かった。長い間放置していたのでコンデンサーやトランジスタなどがいかれたのだろう。脳味噌もそうだが使わないと傷むのが早い。
近頃、FMもまた聴いてみようかという心境だったので、ならば直してみようと思い立った。
回路図を探したら出てきたので早速部品を洗い出し、電解、フィルムのコンデンサーの全て、
IF段とMPX回路の抵抗の全てを交換する事にした。
云うまでもなく直そうとしたわけだが、ただ直すだけでは面白くないので、序に音質向上を図ろうと、まあ、助平根性を出した訳だ。

電解コンデンサーはニチコンのオーディ用、フィルムコンデンサーはフィリップス/ムラードのマスタード、抵抗はIF段にタクマン電子のREYを使い、MPX回路は同じくタクマン電子のREXを使う事にした。REYは誤差1%、REXは誤差5%ながら音質に優れる。
REXは色が嫌な浣腸色という欠点はあるもののそれは欠陥ではないし、アンプの内部は見えず、性能とは関係ないのでお勧めである。
音質の良さでは1・2を争うDALEとは一味違ってこれはこれでなかなかなものである。
マスタードは基盤に付けるには工夫が必要だが音が良いので無理やりくっ付けた。
そこまでやるならバンブルビーだって良い話だけれども、残念ながら容量抜けの物が多くWEの部品と同じで良質なものは今や殆ど残っていない。
昔は美人だった100歳婆さんの様なもので嫁に貰う気があると云うなら敢えて止めはしないが。

真空管時代のコンデンサーをトランジスタアンプに使う事の良否はやってみなければ解らないから、余りに高額な出費は避けたかったという事情もある。
皆さんがどう想像していらっしゃるか解らないが、若い頃悪ふざけが過ぎて僕は金持ちじゃない。世の中はうんと真面目に生きなければいけない。
さて、部品が揃ったら後は手先の器用さに頼る作業が待っている。コンデンサーの交換は大した手間ではないが抵抗の交換には根気が必要である。
ソニーの仕事は丁寧で、基盤に差し込んだ足をきちんと折り曲げて半田付けしているので、これを外すのは矢鱈面倒である。
気の短い僕には拷問に近い作業だから時々癇癪を起して怒っている顔がガラス窓に写ったりする。ただでさえ見たい顔ではないというのに、全く、鏡を見てうっとりするナルシストの気が知れない。
作業がもたつくと近くのトランジスタが熱でやられるので各部品の交換は出来るだけ素早く取り除き、素早く取り付ける必要がある。不器用な者には特別血圧に悪い。
こうして頭が沸騰する場面に100回程遭遇してみると、それでも一つ一つ作業は進んで、目出度く修理・改造は完了した。(5000Fに使われているトランジスタは選りすぐりの物なので無暗に交換せず出来るだけ其の儘使った方が良い)
10Bには遠く及ばないもののなかなかな音に仕上がった。
自分で直したという満足感は音を良質なものに変貌させることもあるのだとこの時気付いた。「医者は自分の手術の出来栄えに患者を忘れて陶酔する一瞬があるようだ」とある友人が言っていたのを思い出す。「『なんて綺麗な出来栄えだとうっとりして呟いたのを手術台の上で聴いた。この時明らかに患者の事は頭になかったようだ」と云うのである。これでちゃんと治癒すれば万々歳である。
さて同時に、今更めくようだがFMチューナーはカートリッジの様に機種によって色々な音を楽しむ事が出来ることを再認識したから、昔音質の良さで評判だったTRIOKT-7000のぶっ壊れたのをただ同然で買ってきて、もう面倒だから抵抗には触れず、電解コンデンサーとフィルムコンデンサーを5000F同様付け換えて蘇生改良させる事にも成功した。
「なんて綺麗な出来栄えだ」組上がった基盤を眺めてそうは思わなかったが、そこそこの出来栄え、KT-7000は5000Fより太めの音でポピュラーな音楽はとても良い。
同じTRIOのKT-8000があっさり澄んだ音なのとは大違いである。改良したつもりが改悪だったのか、メーカーに音の統一性が無いのか、同じTRIOでも全く音が違う。
何年前だったか、某君の事務所移転時にステレオを入れたいというので、チューナーはマランツのST-8を推薦した事がある。この事務所の再度の移転の際に記念に頂いて、改めて聴いたこの音は若干10Bの香りがして一貫したマランツの思想の様なものが感じられる。
4機種の総合点を付けるならST-8が僕にとっては一番高得点である。
結局、現在4台のFMチューナーが我家に存在する。「放送される音楽は一つでしょうに」空耳かもしれないが遠くで家内の声が聴こえる。
女は現実的だから理解を求めても無駄である。意味のない笑いで誤魔化すしかない。
「修理は兎も角改良など余計な事」と味もそっけもない発想を家内はするが、半田鏝を持ってごそごそやってるのを見たって修理か改造かの見分けは付くまい。ざまあ見やがれだ。
音はある一定レベルの所に線が引いてあって、其処までは設計が間違っていなければ大概の物は結構良い音を楽しむことが出来るし、音質はどれも左程の差は無い。
しかし、問題はその音をもうちょっと良くしたいという、その「もうちょっと」の所が部品の勝負になって、微妙な音の差を生みだすのに金が掛るのである。
例えばロシアの真空管ならクワッドで1万ちょっとだが、アメリカやイギリス等のビンテージ物は10万といった様に抵抗もコンデンサーも一事が万事こういう具合に値段が嵩んでゆく。
しかし明らかに音質が違うので、一度聴き比べて仕舞うと後戻りが出来なくなるのだ。
割り切って考えるなら中国製だって音が出ないという事は無いから、それで良いなら何をか言わんやだが、こういう話もある。
現実離れしてむきになって膨大な開発費を投入した男マランツの10B。
この開発はマランツの経営を大きく傾けたと以前聞いたが、マランツ此処に有りという名声を不動のものにしたのは#7などと並んでこの10Bである事に異論は無かろう。
まことに、禍福は糾える縄のごとしである。福だけを求めると何処かで行き詰まる。
ところで、こうした柄にもない僕の努力は何のためだったか。云うまでも無く良い音でFM放送を聴くために決まっているがFMファンにとっては此処に重大な問題が存在している。電波規制である。
それでも随分緩和されて民放はそこそこ増えてきた。そのこと自体は喜ばしい事だが、手放しでは喜べないもう一つの問題が存在する。
詳しい事は知らないが、NHKのFM放送に使う機器はどれもこれも以上無いという程、オーディオマニアがそれこそ涎を垂らして卒倒する程優秀で高音質なものを使っているらしい。
と、そう聞いても放送局なんだから驚くに当たらないが、ならばと普段聴かない民放を改めて聴いてみると同じ放送局でも音質は全く違っていて、NHKと比べて音が妙に太くて荒くてきつく、綺麗な音とは聊か言い難い。物解りの悪い爺さん取締役がスタジオ機器の決済を渋った結果か、スタッフの耳が悪いとは思えないので、もし若者向けに意図的にそういう刺激音を造っているのなら大きな違いだと云わねばならない。総じて民放の音は品性に欠けるというところが一番の問題である。
三十年前と同様NHK・FMは今でも1局しかないが、当時FM東京しかなかった民放は今では新聞の番組表によれば僕の住まいの逗子周辺では6局もこの猛烈な刺激音を聴く事が出来る。
昔特高の拷問にガチャガチャ穢い音を聴かせ続けて眠らせないというのが有ったらしいが、
今なら特別の装置を必要としない。どの局でもいいから三日程民放を聞かせ続ければ大概の兵でも堕ちるだろう。
音の穢い民放が6局もあって、音の良いNHKが1局しかないというのはどういう事だろう。
NHKのAMには第1と第2放送が有るんだから、FMも第1・第2・いや第3放送くらいやって欲しいものだ。クラシックとジャズと後は何でもござれの専門チャンネル3局である。
スパイ天国日本の電波規制は厳しくてFM開局は結構難しいと聴いているのにそれにしては穢い音を出す民放ばかりが増えているのは不思議な事だ。
そればかりではない、去年レコードを掛けていたら不思議な音声が聴こえてくるので耳を澄ますと、中国の放送が日本海を越えてカートリッジやアームをアンテナとして受信しているのに吃驚。
ラジオが音を拾うなら兎も角、僕はレコードを聴いていたんだから余程強い電波を発信しているのだろう。それをイコライザーアンプで増幅していたという事らしい。

全く、不愉快な事極まりない。
 
自国の放送は中途半端に制限して、中国の無法プロパガンダ放送には文句ひとつ言えないなら阿呆な話だ。政治を語るのが本旨ではないから一言にするが、我が国の政治には哲学が無い。序に云うなら民放テレビなどは哲学どころか教養・節操の欠片も無い番組ばかりで、若者(ジジババも)の頭を狂わせ洗脳している。凶悪犯罪が増えているのは政治が悪いとテレビは云うが、其れよりもそう云って憚らないテレビと一部の漫画の影響の方が余程大きいだろう。

規制するならテレビ電波とエログロ残酷描写の漫画ではないのか。
表現の自由といっても無制限で良い筈がない。
節操は哲学から生まれる。その哲学が政治にも行政にもマスコミにも無い。
さてさて、折角の機材も1局しかないのでは如何にも勿体ない。という事が云いたかったのだ。

民放でもよいからもっと良い音で良い音楽を流せば、少しは荒れた心が和むかも知れない。

2011.03.01

2014年12月15日月曜日

我が、蹉跌のオーディオファイル #11
レコードの再生音

レコードに刻まれた本当の音とはどんなものなのか、レコード製作現場のスタッフも、
自分の録音した音をモニターで聴く時、再生機器によって音が違ってくるわけだから、
厳密にいえば正確にはどれが本当の音なのか判じ得ない事になる。


だが、レコードには制作現場で造られた音が刻まれているというだけは確かだがレコードとして、家庭用の再生装置で心地よく聴こえる音に調整れているものと思いたいが、制作現場を想像してみるとそうした善意が期待出来るかは疑問である。

こうした現場は云ってみれば僕らオーディオマニアと似たような心理状態にある人々の自己陶酔の世界だから、自分達の理想の音で録音できさえすれば彼らは満足な筈であるから、必ずしも消費者に対する善意を期待できるものではないのではないかと思われる。

そして我々はそうして録音されたレコードをそれこそ千差万別の装置で(カートリッジ、アンプ、スピーカー等の様々な組み合わせ)聴いている。

ちょっと考えただけで録音された時と同じ音で再生する事の難しさが解るし、同じレコードが千差万別の音で再生されている以上どの音がレコードに刻まれたが、本当の音なのかという事は聴き分けようが無いことも解る。

まして、一時期の宣伝文句にあったような生その儘の再生などあり得ない事も解る。

だがしかし、マリア・カラスの声はどんな装置で聴いてもマリア・カラスの声で聴こえる。
ラジカセだってカラスのソプラノがサザーランドの声で聞こえてくるような事は無い。

言い換えればどんな装置だって充分に音楽の真髄を享受できる訳だ。

しかるに、我々気狂い共は、マランツでなければ、マッキンでなければ音ではないといきり立ち、いやマランツやマッキンなど音ではないと眼を充血させる。

博打等の不届きに金を投入するよりは罪のない趣味だとは思うが、余りのめり込むと碌な事は無い。

こうしてレコードに刻まれた音の事だが、これを掘り下げてゆくと結構厄介な問題にぶつかる。
それは、レコードには当然ながら針で拾うための音溝が刻まれているが、その振幅の刻み方が各レコード会社によって各社各様違っているということだ。

ただでさえ、レコードの音を正確に再生するのは難しいと云うのに、この問題は更にそれを難しいものにしている。

つまりこういう事だ、もしレコードに実際の音と同じ周波数の振幅で溝を刻むと低音の振幅が大き過ぎて針がトレースせずに飛んでしまう。

そこでレコードには低域を減衰し、高域を強調して刻む。

つまりそのまま刻みこむ振幅を小さなものにすると、其の儘再生すると高域が強調された音になる。

なので、我々が聴いている音はそれをイコライザーで反転し、正常な音に戻したものである。

通常僕らが聴いている普通のイコライザー・アンプにはRIAAという統一規格で音が刻まれている事を前提にしているから、再生時にRIAAカーブで反転するように出来ている。

1955年か8年だったか録音カーブはRIAAで行きましょうと世界レベルで規格化されたからだが、
実際は殆どその規格は守られていなかったのが実情であるらしい。

規格化以前のSPやモノLPなどは当然としてもステレオLPもそうだったとは僕は知らなかった。

それで平気で聴いていたんだから、カーブによる音の違いと云ってもその程度のものなのだが、録音カーブにはRIAANABAESFFRRColombia LPOld RCA,等々様々あり、其々高域と低域のカーブが微妙に違う。これを更に複雑にしているのは高域はNABで低域はRIAAなどと混ぜて使っているレコード会社がある事だろう。

こんなものを正確に再生するという事は困難を極める話で、やって出来ない事は無いだろうが、
アンプの嵩はかなりのものになるだろうし、いちいちこのレコードはどのカーブとどのカーブが使われているか調べてそれをアンプで調整してなど馬鹿らしくてやっていられない。

第1調べたって正確なデータを得られる保証は全くなく、要するに制作側では余り頓着されない問題だったとしか言いようがない。

市販されたアンプの殆ど全てが、「その辺の事は面倒臭えし、一々やってられねえ」というんで、これは世界の統一規格だと大義名分もあるし「リアカーブ1個で聴いておれ」と云う事になったのが実情であるらしい。

先にも云ったように音の差と云ってもはっきり聴き分けられる人など先ず居ないだろうから、一概に企業の怠慢と云っては各メーカーが可哀相だから「何とかしろ」と今更迫る気は毛頭ないものの、カーブがピタリと合ったレコードの再生音には当然効結果が表れる。

今迄、何となく音がくすんだように聞こえたり、伴奏のピアノが霞んでいたり、音のメリハリに欠けたり、潤いが無かったり、ヴァイオリンの音がきつかったり、どうあれ何か変だと感じた事は無かったろうか。

CBSソニーの様に元から変な音を出すレコードというのはそうそうあるものではなく、大概はこれらがカーブの違いによる悪影響であると思ってよいだろう。

それがうまく当たって刻まれた音と同一のカーブで反転出来ると、靄が一遍に晴れたように音がクリアーになる事があって、こんないい音だったのかとカビだらけのレコードを再認識する事もあるから、これはこれでやりだすと嵌るのである。

モノLPがこれ程艶っぽいものだとは僕も知らなかった。ステレオ程の音の広がりこそないが、ボーカルなどは手が届くように生々しい。

そういえば、子供の頃我家にあったエマーソンのラジオ付きポータブルプレイヤーの音が確かこういう傾向の音だった。50年代の半ばだったからイコライザーがRIAAでなくて、レコードのカーブとぴったり合致したていたのかも知れない。

ハワイのK・S WORKSという小さなメーカーで「Phono-01」というイコライザーアンプを出している。
このアンプは主にアメリカのレコードを対象にしているらしく「RIAAの他にNABAESを備えている。嵩は小さいが兎に角聴いてみてほしい」と説明にあったので興味を持ったが、当初は音質よりもカーブの違いで音がどの様に違ってくるかの興味の方が強かった。値段が手ごろだった事もあって半ば衝動的に買ったと云っていい。

聴いてみたら見てくれとは大違いで音のバランスが良く音質はなかなかなものだった。

カーブが合致すると声がまるでアバターの様に生々しく迫ってくる、このイコライザーは素晴らしい。

面白い人が居て「音なんかより所有欲を満足させたい」と云ってWEやら何やら名の通ったものや大向こうを唸らせるプロ機等を掻き集めているという。

「歳とともにそうなる」という所が僕とは逆で理解し難いが、ブランドものを欲しがる心理が解らないわけではない。特に我々世界の埼玉県人はその傾向が強く、頭の先から爪先までグッチやセリーヌで固めた、お兄ちゃんお姉ちゃんが、いやおじちゃんおばちゃんもごゴロゴロいる。

似合う似合わないはどうでもよい事らしい。

チンドン屋とまで揶揄はしないが、着ている物が良いだけに気の毒に思えてならない。

鹿鳴館を皮肉って、ローブデコルテを着て踊る出っ歯のサルを描いた某国の侮辱的な一駒漫画に時を超えて悲しい思いをした事があったが、21世紀の僕らはもうそういうものを卒業して、自分の身に付いた行いに努めたいし、自分達が先頭を切ろうという気概を持っても良い頃だ。


K・S WORKSの経営者は日本人である。 「何でも自分で確かめなければ気が済まない」と云う。

こういう人の造るものはまず間違いない。他人の褌で飯を食っている評論家の言など全く当てにならないと改めて認識してみれば、真似事しかしなかった我が国の一流メーカーはそこそこの物は造ったが結局何もしなかった事が良く解る。

オーディオは間違いなく新時代に入る。全ての物は自分の耳で選ぼう。
世に出ていない優秀な小企業が幾つもあるはずだ。
しかし、断言してもよいがレコードだけはまだ残る。
何故と問うまでも無い。レコードの音質を超えるものが出現していないからだ。

2011.02.14