自分の録音した音をモニターで聴く時、再生機器によって音が違ってくるわけだから、
厳密にいえば正確にはどれが本当の音なのか判じ得ない事になる。
だが、レコードには制作現場で造られた音が刻まれているというだけは確かだがレコードとして、家庭用の再生装置で心地よく聴こえる音に調整れているものと思いたいが、制作現場を想像してみるとそうした善意が期待出来るかは疑問である。
こうした現場は云ってみれば僕らオーディオマニアと似たような心理状態にある人々の自己陶酔の世界だから、自分達の理想の音で録音できさえすれば彼らは満足な筈であるから、必ずしも消費者に対する善意を期待できるものではないのではないかと思われる。
そして我々はそうして録音されたレコードをそれこそ千差万別の装置で(カートリッジ、アンプ、スピーカー等の様々な組み合わせ)聴いている。
ちょっと考えただけで録音された時と同じ音で再生する事の難しさが解るし、同じレコードが千差万別の音で再生されている以上どの音がレコードに刻まれたが、本当の音なのかという事は聴き分けようが無いことも解る。
まして、一時期の宣伝文句にあったような生その儘の再生などあり得ない事も解る。
だがしかし、マリア・カラスの声はどんな装置で聴いてもマリア・カラスの声で聴こえる。
ラジカセだってカラスのソプラノがサザーランドの声で聞こえてくるような事は無い。
言い換えればどんな装置だって充分に音楽の真髄を享受できる訳だ。
しかるに、我々気狂い共は、マランツでなければ、マッキンでなければ音ではないといきり立ち、いやマランツやマッキンなど音ではないと眼を充血させる。
博打等の不届きに金を投入するよりは罪のない趣味だとは思うが、余りのめり込むと碌な事は無い。
こうしてレコードに刻まれた音の事だが、これを掘り下げてゆくと結構厄介な問題にぶつかる。
それは、レコードには当然ながら針で拾うための音溝が刻まれているが、その振幅の刻み方が各レコード会社によって各社各様違っているということだ。
ただでさえ、レコードの音を正確に再生するのは難しいと云うのに、この問題は更にそれを難しいものにしている。
つまりこういう事だ、もしレコードに実際の音と同じ周波数の振幅で溝を刻むと低音の振幅が大き過ぎて針がトレースせずに飛んでしまう。
そこでレコードには低域を減衰し、高域を強調して刻む。
つまりそのまま刻みこむ振幅を小さなものにすると、其の儘再生すると高域が強調された音になる。
なので、我々が聴いている音はそれをイコライザーで反転し、正常な音に戻したものである。
通常僕らが聴いている普通のイコライザー・アンプにはRIAAという統一規格で音が刻まれている事を前提にしているから、再生時にRIAAカーブで反転するように出来ている。
1955年か8年だったか録音カーブはRIAAで行きましょうと世界レベルで規格化されたからだが、
実際は殆どその規格は守られていなかったのが実情であるらしい。
規格化以前のSPやモノLPなどは当然としてもステレオLPもそうだったとは僕は知らなかった。
それで平気で聴いていたんだから、カーブによる音の違いと云ってもその程度のものなのだが、録音カーブにはRIAA,NAB,AES,FFRR,Colombia LP,Old RCA,等々様々あり、其々高域と低域のカーブが微妙に違う。これを更に複雑にしているのは高域はNABで低域はRIAAなどと混ぜて使っているレコード会社がある事だろう。
こんなものを正確に再生するという事は困難を極める話で、やって出来ない事は無いだろうが、
アンプの嵩はかなりのものになるだろうし、いちいちこのレコードはどのカーブとどのカーブが使われているか調べてそれをアンプで調整してなど馬鹿らしくてやっていられない。
第1調べたって正確なデータを得られる保証は全くなく、要するに制作側では余り頓着されない問題だったとしか言いようがない。
市販されたアンプの殆ど全てが、「その辺の事は面倒臭えし、一々やってられねえ」というんで、これは世界の統一規格だと大義名分もあるし「リアカーブ1個で聴いておれ」と云う事になったのが実情であるらしい。
先にも云ったように音の差と云ってもはっきり聴き分けられる人など先ず居ないだろうから、一概に企業の怠慢と云っては各メーカーが可哀相だから「何とかしろ」と今更迫る気は毛頭ないものの、カーブがピタリと合ったレコードの再生音には当然効結果が表れる。
今迄、何となく音がくすんだように聞こえたり、伴奏のピアノが霞んでいたり、音のメリハリに欠けたり、潤いが無かったり、ヴァイオリンの音がきつかったり、どうあれ何か変だと感じた事は無かったろうか。
CBSソニーの様に元から変な音を出すレコードというのはそうそうあるものではなく、大概はこれらがカーブの違いによる悪影響であると思ってよいだろう。
それがうまく当たって刻まれた音と同一のカーブで反転出来ると、靄が一遍に晴れたように音がクリアーになる事があって、こんないい音だったのかとカビだらけのレコードを再認識する事もあるから、これはこれでやりだすと嵌るのである。
モノLPがこれ程艶っぽいものだとは僕も知らなかった。ステレオ程の音の広がりこそないが、ボーカルなどは手が届くように生々しい。
そういえば、子供の頃我家にあったエマーソンのラジオ付きポータブルプレイヤーの音が確かこういう傾向の音だった。50年代の半ばだったからイコライザーがRIAAでなくて、レコードのカーブとぴったり合致したていたのかも知れない。
ハワイのK・S WORKSという小さなメーカーで「Phono-01」というイコライザーアンプを出している。
このアンプは主にアメリカのレコードを対象にしているらしく「RIAAの他にNABとAESを備えている。嵩は小さいが兎に角聴いてみてほしい」と説明にあったので興味を持ったが、当初は音質よりもカーブの違いで音がどの様に違ってくるかの興味の方が強かった。値段が手ごろだった事もあって半ば衝動的に買ったと云っていい。
聴いてみたら見てくれとは大違いで音のバランスが良く音質はなかなかなものだった。
カーブが合致すると声がまるでアバターの様に生々しく迫ってくる、このイコライザーは素晴らしい。
面白い人が居て「音なんかより所有欲を満足させたい」と云ってWEやら何やら名の通ったものや大向こうを唸らせるプロ機等を掻き集めているという。
「歳とともにそうなる」という所が僕とは逆で理解し難いが、ブランドものを欲しがる心理が解らないわけではない。特に我々世界の埼玉県人はその傾向が強く、頭の先から爪先までグッチやセリーヌで固めた、お兄ちゃんお姉ちゃんが、いやおじちゃんおばちゃんもごゴロゴロいる。
似合う似合わないはどうでもよい事らしい。
チンドン屋とまで揶揄はしないが、着ている物が良いだけに気の毒に思えてならない。
鹿鳴館を皮肉って、ローブデコルテを着て踊る出っ歯のサルを描いた某国の侮辱的な一駒漫画に時を超えて悲しい思いをした事があったが、21世紀の僕らはもうそういうものを卒業して、自分の身に付いた行いに努めたいし、自分達が先頭を切ろうという気概を持っても良い頃だ。
K・S WORKSの経営者は日本人である。 「何でも自分で確かめなければ気が済まない」と云う。
こういう人の造るものはまず間違いない。他人の褌で飯を食っている評論家の言など全く当てにならないと改めて認識してみれば、真似事しかしなかった我が国の一流メーカーはそこそこの物は造ったが結局何もしなかった事が良く解る。
オーディオは間違いなく新時代に入る。全ての物は自分の耳で選ぼう。
世に出ていない優秀な小企業が幾つもあるはずだ。
しかし、断言してもよいがレコードだけはまだ残る。
何故と問うまでも無い。レコードの音質を超えるものが出現していないからだ。
厳密にいえば正確にはどれが本当の音なのか判じ得ない事になる。
だが、レコードには制作現場で造られた音が刻まれているというだけは確かだがレコードとして、家庭用の再生装置で心地よく聴こえる音に調整れているものと思いたいが、制作現場を想像してみるとそうした善意が期待出来るかは疑問である。
こうした現場は云ってみれば僕らオーディオマニアと似たような心理状態にある人々の自己陶酔の世界だから、自分達の理想の音で録音できさえすれば彼らは満足な筈であるから、必ずしも消費者に対する善意を期待できるものではないのではないかと思われる。
そして我々はそうして録音されたレコードをそれこそ千差万別の装置で(カートリッジ、アンプ、スピーカー等の様々な組み合わせ)聴いている。
ちょっと考えただけで録音された時と同じ音で再生する事の難しさが解るし、同じレコードが千差万別の音で再生されている以上どの音がレコードに刻まれたが、本当の音なのかという事は聴き分けようが無いことも解る。
まして、一時期の宣伝文句にあったような生その儘の再生などあり得ない事も解る。
だがしかし、マリア・カラスの声はどんな装置で聴いてもマリア・カラスの声で聴こえる。
ラジカセだってカラスのソプラノがサザーランドの声で聞こえてくるような事は無い。
言い換えればどんな装置だって充分に音楽の真髄を享受できる訳だ。
しかるに、我々気狂い共は、マランツでなければ、マッキンでなければ音ではないといきり立ち、いやマランツやマッキンなど音ではないと眼を充血させる。
博打等の不届きに金を投入するよりは罪のない趣味だとは思うが、余りのめり込むと碌な事は無い。
こうしてレコードに刻まれた音の事だが、これを掘り下げてゆくと結構厄介な問題にぶつかる。
それは、レコードには当然ながら針で拾うための音溝が刻まれているが、その振幅の刻み方が各レコード会社によって各社各様違っているということだ。
ただでさえ、レコードの音を正確に再生するのは難しいと云うのに、この問題は更にそれを難しいものにしている。
つまりこういう事だ、もしレコードに実際の音と同じ周波数の振幅で溝を刻むと低音の振幅が大き過ぎて針がトレースせずに飛んでしまう。
そこでレコードには低域を減衰し、高域を強調して刻む。
つまりそのまま刻みこむ振幅を小さなものにすると、其の儘再生すると高域が強調された音になる。
なので、我々が聴いている音はそれをイコライザーで反転し、正常な音に戻したものである。
通常僕らが聴いている普通のイコライザー・アンプにはRIAAという統一規格で音が刻まれている事を前提にしているから、再生時にRIAAカーブで反転するように出来ている。
1955年か8年だったか録音カーブはRIAAで行きましょうと世界レベルで規格化されたからだが、
実際は殆どその規格は守られていなかったのが実情であるらしい。
規格化以前のSPやモノLPなどは当然としてもステレオLPもそうだったとは僕は知らなかった。
それで平気で聴いていたんだから、カーブによる音の違いと云ってもその程度のものなのだが、録音カーブにはRIAA,NAB,AES,FFRR,Colombia LP,Old RCA,等々様々あり、其々高域と低域のカーブが微妙に違う。これを更に複雑にしているのは高域はNABで低域はRIAAなどと混ぜて使っているレコード会社がある事だろう。
こんなものを正確に再生するという事は困難を極める話で、やって出来ない事は無いだろうが、
アンプの嵩はかなりのものになるだろうし、いちいちこのレコードはどのカーブとどのカーブが使われているか調べてそれをアンプで調整してなど馬鹿らしくてやっていられない。
第1調べたって正確なデータを得られる保証は全くなく、要するに制作側では余り頓着されない問題だったとしか言いようがない。
市販されたアンプの殆ど全てが、「その辺の事は面倒臭えし、一々やってられねえ」というんで、これは世界の統一規格だと大義名分もあるし「リアカーブ1個で聴いておれ」と云う事になったのが実情であるらしい。
先にも云ったように音の差と云ってもはっきり聴き分けられる人など先ず居ないだろうから、一概に企業の怠慢と云っては各メーカーが可哀相だから「何とかしろ」と今更迫る気は毛頭ないものの、カーブがピタリと合ったレコードの再生音には当然効結果が表れる。
今迄、何となく音がくすんだように聞こえたり、伴奏のピアノが霞んでいたり、音のメリハリに欠けたり、潤いが無かったり、ヴァイオリンの音がきつかったり、どうあれ何か変だと感じた事は無かったろうか。
CBSソニーの様に元から変な音を出すレコードというのはそうそうあるものではなく、大概はこれらがカーブの違いによる悪影響であると思ってよいだろう。
それがうまく当たって刻まれた音と同一のカーブで反転出来ると、靄が一遍に晴れたように音がクリアーになる事があって、こんないい音だったのかとカビだらけのレコードを再認識する事もあるから、これはこれでやりだすと嵌るのである。
モノLPがこれ程艶っぽいものだとは僕も知らなかった。ステレオ程の音の広がりこそないが、ボーカルなどは手が届くように生々しい。
そういえば、子供の頃我家にあったエマーソンのラジオ付きポータブルプレイヤーの音が確かこういう傾向の音だった。50年代の半ばだったからイコライザーがRIAAでなくて、レコードのカーブとぴったり合致したていたのかも知れない。
ハワイのK・S WORKSという小さなメーカーで「Phono-01」というイコライザーアンプを出している。
このアンプは主にアメリカのレコードを対象にしているらしく「RIAAの他にNABとAESを備えている。嵩は小さいが兎に角聴いてみてほしい」と説明にあったので興味を持ったが、当初は音質よりもカーブの違いで音がどの様に違ってくるかの興味の方が強かった。値段が手ごろだった事もあって半ば衝動的に買ったと云っていい。
聴いてみたら見てくれとは大違いで音のバランスが良く音質はなかなかなものだった。
カーブが合致すると声がまるでアバターの様に生々しく迫ってくる、このイコライザーは素晴らしい。
面白い人が居て「音なんかより所有欲を満足させたい」と云ってWEやら何やら名の通ったものや大向こうを唸らせるプロ機等を掻き集めているという。
「歳とともにそうなる」という所が僕とは逆で理解し難いが、ブランドものを欲しがる心理が解らないわけではない。特に我々世界の埼玉県人はその傾向が強く、頭の先から爪先までグッチやセリーヌで固めた、お兄ちゃんお姉ちゃんが、いやおじちゃんおばちゃんもごゴロゴロいる。
似合う似合わないはどうでもよい事らしい。
チンドン屋とまで揶揄はしないが、着ている物が良いだけに気の毒に思えてならない。
鹿鳴館を皮肉って、ローブデコルテを着て踊る出っ歯のサルを描いた某国の侮辱的な一駒漫画に時を超えて悲しい思いをした事があったが、21世紀の僕らはもうそういうものを卒業して、自分の身に付いた行いに努めたいし、自分達が先頭を切ろうという気概を持っても良い頃だ。
K・S WORKSの経営者は日本人である。 「何でも自分で確かめなければ気が済まない」と云う。
こういう人の造るものはまず間違いない。他人の褌で飯を食っている評論家の言など全く当てにならないと改めて認識してみれば、真似事しかしなかった我が国の一流メーカーはそこそこの物は造ったが結局何もしなかった事が良く解る。
オーディオは間違いなく新時代に入る。全ての物は自分の耳で選ぼう。
世に出ていない優秀な小企業が幾つもあるはずだ。
しかし、断言してもよいがレコードだけはまだ残る。
何故と問うまでも無い。レコードの音質を超えるものが出現していないからだ。
2011.02.14