2015年4月15日水曜日

我が、蹉跌のオーディオファイル #16
ダイナコ改造記その三


特別の問題が生ずると、其れに対しては何か特別の方法を持って対処しなければならないのではないかとつい思ってしまう。

突発的な思いもよらぬ問題が起きた時,ものをいうのはそういう特別の対処法より,普段の心掛けと日常ではあまり役に立たない様々な知識である事が多い。
戦争を体験した諸先輩の話を総合してみると、死に直面した時一番役に立つ(冷静になれる)のはどうやら教養の持ち方であるようだ。

一言で言うと教養に基づく冷静な頭で下す判断が生死を分けることがあるということらしい。
例えば、塹壕の中で一番怖いのはカラカラと迫り来る戦車のキャタピラの音だと体験者は語る。

遠くに聴いていたこの音が次第に近付くのに比例して恐怖感がじわじわと増大し、予期していた事ながら現実化した死が刻々と迫って,死刑囚が聴く執行官の足音にも似てそれが監房の扉の前で止まるように、戦車が50m~30m程の所まで接近してきた,恐怖感は極限に達し、冷静さを失うと中には発狂して突然飛び出して撃たれてしまう事もあるそうだ、或いは銃を放り出して丸まってしまう事もあると云う。

逆に言うと、切羽詰まった時にこそ人間の全人格が現れると異口同音に仰るし僕もそう思う。
政治家、役人の世界は云うに及ばず、会社などあらゆる組織で責任問題が発生した時に、
人柄を見る事が出来る。
誰を信用して良くて誰を信用してはいけないかが解ると云っても良い。

と、こう切り出してしまうと違う話になってしまうから修正すると、僕などがやっているアンプ弄りでも、どうにも二進も三進も行かなくなる様な突発的というか困った事態に陥る事が時々あって、
 こういう時にどう対処するかに結構人間性が出る事がある。

ほぼ完璧と思われた2回目の改造後、御機嫌宜しく聴いていたら、突然片方のアンプからパサパサと雑音、一度電源を落として再び電源を入れると初めの内はちゃんと音が出るのに暫くすると,
 またパサパサとノイズが出た、翌日も2時間程するとこのパサパサが出始め、昨日と同じ症状。
こうした故障の原因は大概コンデンサーか真空管の不具合だから、
 先ず左右のアンプの真空管を入れ替えてみるとやはり同じアンプから同じノイズが出る。
つまり真空管の故障ではないのでひと安心,次にドライバー管を抜いて電源を入れてみるとノイ ズは出ない。

どうやら出力段ではなく初段周りのコンデンサーか抵抗か或いは半田不良が原因らしい。

 そこでブロックコンをドイツ製FTCAPの新品に換えたが駄目。
 初段のソケットを換えてみたが矢張り駄目。
 初段周りの抵抗を全て測り直したが異常なし。
 ダイオード異常なし。50μの電解コン異常なし。
 半田全て付け直し、矢張り駄目。

あと考えられるのは電源トランスとチョークの不具合だが通常考え難い。

バイアス用ポテンショメーターも再度付け換えたが矢張り駄目。
解る方がおられたら教えて頂きたい。何が原因だろう。
僕は電気的知識が無いから、こうなってしまうとお手上げである。

そこで考えた。もうひと組買っちまえばいい。

そして、このどうにもならないアンプの電源トランスを付け換えて思い入れのある6L6仕様に改造すれば一石二鳥でなないか。

出力トランスが原因でない事だけははっきりしているわけだから、これで全て解決するはずである。初期タイプの電源トランスはウンウン唸るから、この音も消えて何よりだろう。
思い立ったら即実行、数日後には新しい(と云っても中古だが)一組を入手。
早速全ての部品の良否を点検した結果、前回同様VRを付け、入力端子をキャノンに付け換えた後、電解コンの全て、12pと750pのマイカ、ダイオード、バイアス用ポテンショメーターを交換した。

ブロックコンはドイツのFTCAP、2個の50μはルビーゴールド、12Pと750Pはエルメンコ、0.1と0.25μはスプラグ・ブラックビューティー、ダイオードはWE ・IN1414,ポテンショメーターはクラロスタットのミル規格である。

オリジナルのMKⅢのカップリングコンデンサーはコーネルドゥビラーブラックキャットだが、 これが硬質な音で少しキャンキャンしたところがある。

ある意味ではMKⅢの音をこのコンデンサーが特徴づけているとも云えるが、 このアンプがトランジスタ的な音だと云われるのもこのコンデンサーに依るところ大であるようだ。


非常にクリアーで綺麗な音だが、今回交換したブラックビューティーはキャンキャンしたところが取れるので僕の好みには合っている。特に0.1μの効果は意外なほど大きかった。

前回のアンフォムは更に音が円やかになりよりクラシック向きなので6L6仕様用に其の儘元のアンプに残すことにした。

ここらのコンデンサーに依る音の優劣は付け難く好みの分かれるところだろう。

ビタミンQなどのハーメチックも良いが違うアンプになってしまう。無論それで音が劣化するという事ではないので、それが好きなら一向構わぬ事だ。

ダイオードだが、僕は今回もWEを使ったけれども、シーメンスがとても良質なものを出している。WEの20分の1の価格で、音の差はピアノやビブラホンなどの余韻に若干の違いが出る程度だから大いにお勧めできる。

聴き比べない限りその違いに気付く事はまずないだろう。

僕は双方のアンプに片方ずつ付けてモノーラルレコードを掛け1台ずつ何回も聴き比べた。
それで、やっぱりそうかなー、という位の差でWEを採ったが、錯覚だったかもしれない。
改めてブロックコンFTCAPに触れてみよう。
40μ×2、20μ×2耐圧550Vだから容量的にMKⅢにはぴったりである。
背は低くずんぐりしていて黒のビニールでカバーしてあるからオリジナルのコーネルの銀色で背の高い奴とは少々ならず見た目の印象は違うが、音の贅肉が取れ、MKⅢの長所でも欠点でもあるトランジスタ臭さが和らぐ、ブラックビューティーとの相性はこの意味では抜群で、名実ともにこれで真空管アンプの本領を発揮するようになると云ってよいだろう。低音の厚みも更に増してより重厚な音になる。かと云ってMKⅢの持ち味が損なわれる様な事は無い。

今 迄ヴァイオリンの音が少々きつくて気になっていたが、これでヴァイオリンがちゃんとヴァイオリンの音になったと云ってもいいだろう。 オリジナルではクラ シックヴァイオリンがウェスタンヴァイオリンの様な音に聴こえる事があった。 一皮剥けて大人の音になったと云ったらいいだろうか。
次に球だが、試に6550ロシア製エレクトロハーモニク5AR4スヴェトラーナ製に差し替えてみたが、何の問題も無く素晴らしい音で鳴った。 信頼のおける店で確かなものを買いさえすればロシア製も捨てたものではない。カメラもそうだったが特許も糞も完璧なコピーを平然と造ってしまう国の面目躍如たるものを感じる。

しかし、ロシア製と云いながら実は中国製などという恐ろしい球も売られているらしいので要注意。
そればかりかRCAなどと印刷された中国球の存在も確認されているという。
そこで、更にこれらをエレクトロンとやらいう中国球に差し替えてみたが、物造りに対する根本的な姿勢やモラルの違いをその音に思わざるを得なかった。

人類の滅亡が現実化するとしたら、本気で数えると実際は20億人居るというこの国の国民の哲学とモラルの持ち方が主因となるだろう。この球で全ての努力が無駄になる。
最後に6550を元のタングゾルに、5AR4ムラードのプレートがギザギザの奴に戻し、
 黄金の組み合わせの音を再確認、当り前だがやはり良い物は良い。

もうひとつ欲を言うとRCA6550がダントツで音質が良い。少し幅が広く大き目のものと、
 それより一廻り小ぶりのものが存在するが音質は変わらない。
残念なことに最近は余り見かけなくなったし、有っても箆棒な値段でもっと残念なのは僕はこの球を 3本しか持っていないので使えない事だ。

初段の6AN8はけっこう悪さをする事が多い球だが、ここでもRCAは落ち着きのある音で性能も安定しているようだ。

特に、赤印刷の物ではなく、橙色でRCA ERECTRON TUBEと印刷されその右に丸いロゴマークが記されたものが良い様だ、何時頃の球なのか解らないが、偶然見付けて入手したものだが大当たりだったようだ。-
さて、物事には何でも始めがあって終わりがある。
始めるのは簡単、だが止め時は往々にして見誤り、度を過ごし折角の努力を無駄にしてしまう。
「もう少し」というその一歩手前辺りが物事の止めどころなのかもしれない。
実はまだ改良の余地があるように思うのだが、今回のセットを弄るのはここらで止めることにした。
基本的に6550(KT88)は限界の見えた球なのではないかと聴いていてそう思った事もまた理由の一つである。
マッキンMC275MKⅢとは違った意味ながらやはりKT88という球の限界を感じさせる。
これ以上これ等のアンプに何かを期待するのは単なる助平根性というものだろう。

6L6への改造が成功したらまた何か申し上げる事が出来るかもしれない。

2011.05.19

我が、蹉跌のオーディオファイル #15
波動スピーカー


同潤会改装後

日本で最初に出来た鉄筋コンクリート造りのアパートは同潤会アパートであり、原宿にもその古色蒼然たる素敵な佇まいを見る事が出来た。崩れかけたアパートだったが趣があり、何時頃からだったろうか、若い人たちがファッションや小物など扱う沢山の洒落た店が出来ていてなかなかなの風情を醸し出していた。

同潤会改装後
だがこれも老朽化には勝てず、数年前つまらぬビルに生まれ変わったが、これではなんだか建て替えのために追い出された若者達が可哀相に思えてならない。

それでも一度は見てみようと野次馬根性で見物に行った折りである、中ほどの階段を降り切ったところに何やら店があったので入ってみると雑貨店だった。

色々なものがごちゃごちゃと置いてあったが、対象が若過ぎてジジイの目を惹く様なものは殆ど無かったが、代りにBGMの音が良くて物よりもその音に興味をひかれた。

音源を辿ると奥の机の両脇に置かれた、小さなスピーカーユニットが付いた「筒」から音が出ていた。
これが10年ほど前に開発されたエムズシステムの波動スピーカーである事をお解りの方も今では多かろう。
スピーカーユニットと云っても、見た目には如何にも安物と思われるちゃちな8センチ位のフルレンジ、それが直径20センチ、長さ50センチ程の紙と思しき筒に嵌めこまれた単純な造りで、失礼ながら金額的にはこの日の手持ちの金額で充分間に合うだろうという印象の代物であった。

子供の玩具のようなちゃちな筒からどうしてこういう音が出るのか、音が不思議な事に自然に体の中に吸い込まれてゆくような、美音と云うよりも心地よいと云った方が適切な、今迄余り味わった事のない音を辺りに発散していた。

こりゃひとつ買っちゃおうと思って金額を見たら12万6千円の正札。元来日本人は無形のものに金を払おうという発想が希薄である。オーディオマニアだけは例外かと思っているが、それにしても不思議な音だと云うだけで12万6千円は如何なものかと正直思ったし、これで売れるんだろうかと訝った。

普通ならこれで終わり、店を出たら忘れてしまうが、どっこいこの音後々まで尾を引いた、JBL4343などは発売当初の割れ鐘の様な試聴音が今でも耳に残るが、このスピーカーは極めて好もしい、体中を包み込み沁み入るような印象で耳に残った。

このビルには二度と行こうと思わなかったが、「筒」の音はもう一度聴きたいと思い、
試聴というより買いに行ったという方が正確だが、新富町の試聴室を訪ねた。

「波動」辞書によると「初めは水波などから類推された概念で、媒質中の変位が順次に連続的に且つ周期的に他の部分に伝わる現象を意味する」。
我々が通常聴いているスピーカーが発する「音波」は同じく辞書によると[空気その他の媒質が、発 音体の振動を受けて生ずる波動、これが耳に入り鼓膜に触れるときに音の感覚が生ずる]とある。晦渋は辞書だからやむを得ない。要するに池に石を放った時の 波紋を思えば良いので、だから音は波動が無ければ音にならないわけで、態々「波動」と冠を載せる意味がちょっと解り難い。

メーカーのエムズシステムは解説書「エムズサウンド・バイブル」中の「エムズシステムはなぜ生まれてきたのか」の結びでこう云っている。
「波動スピーカーは作曲家、演奏家、歌い手それぞれの想いをあなたの心に直接響かせ、ある時は心を落ち着かせ、あなたが本来持っている感性を呼びさまし、磨き上げて、あなたがあなた自身であることに気付く楽器、それがエムズシステム・サウンドです」どうにもまどろっこしい。

屁理屈を云って絡む気は毛頭ないが、僕は音楽を聴くという単純な行為に面倒な理屈は考えていない、
文字通り音を楽しみたいだけで、いちいち感じ入って自分とは何者ぞなどと分析するような趣味は持っていないし、第一分析したって達する結論が碌なものでないくらい解っている。

折角楽しんでいる時に改めて、鏡を見るような愚かを犯してたまるか。


それに僕自身はA君でもB君でもないから、僕が僕自身である事は云われるまでも無く知っておるので、こう持って回って押しつけられると、どこぞの宗教から折伏されているようで、体中がこそばゆくなってくる。


美音の心地よさは耳を中心に体全体に沁み渡り、僕のシステムでも心地よかったり眠くなったりしており、音楽は譬えラジカセの音でも良い音楽であれば僕の(人の)音楽的感性のみならず心を磨いてくれる。反対に楽想の稚拙な音楽には苛立ち、落ち着きを僕らは失う。


何もそれは波動スピーカーで聴いたからという事ではなく、それに、感性を磨き心を癒し磨くのは音質も多少は影響するかもしれないが、音楽そのものの持つ力のほうが遥かに大きいと、敢えて考えてみろというならそう思う。


また、バイブルにはこうも記してある「ケイタイやパソコン、ラジカセなどの人工的な電子音ばかりに囲まれているとついイライラしたり心のバランスを失いがち です」・・・デジタル音は僕も嫌いだし、長時間の視聴が人間の生理に良い影響を与える筈が無いと思っているからその点には同調するけれども、パソコンやラ ジカセの音だって音楽そのものは何の分け隔てもしないものだと思っている。

まあ、宣伝文句だからそうむきになる事も無いのだが、折角の興がこういうところで削がれてしまうのはちょっと勿体ない気がする。
だが、改めて聴いた音はあのビルの雑踏の中で聴いたものより遥かに素晴らしいものだった。誰だってこれだけの音造りが出来れば自慢したくもなるのも無理は無い。
そのコンパクトさといい、小さな家に住む我々にとってはひとつの恩恵だし、彼らが自画自賛するように「音に包まれて、心が開け、率直になれる」なら、神を見るようなものだろう。

バイブルはこうも言っている「柔らかく豊かな音色でその場全体を満たし、空間自体を調和のとれたものとしてリラックスさせてくれます」これは本当だった。
序に云うならその臨場感が半端でない。嘘だと思うなら行って聴いてみると良い。
百聞は一聴に如かず、何も云わずにいてくれれば、原価がどこかで見え透く事などものともせずに、僕はこの素晴らしいスピーカーを買っただろう。

特徴的な事がもうひとつある。
これだけ音が良ければマニアが飛び付いてもよさそうなものなのに、従来の超マニアの間では一向に話題に登らず、殆ど興味を持たれた形跡が無い。何故だろうと考えてみて思い付く事があった。
試聴室に出向いたこの時「このスピーカーは音源を選ばない。ラジカセを繋いでも高級アンプを繋いでも等しくこのスピーカーの音がする。如何なるアンプを以てしても我スピーカーは不変である」・・・と云う。

マニアが横を向くとすればこの点で、音源を選ばないという事が本当なら、今迄の研究の成果と膨大な出費の全否定につながる。根本からやり直すことなどもう出来ないところに殆どのマニアがどっぷり漬かっている訳だから、今更それを捨てることなど出来るわけが無いのである。

それに、不変なものに相対しても何の達成感も得られないから面白くないのだろう。阿呆な努力をしたがるのがマニアの心理でもある。それが出来ない。
だが、「音源を選ばない」と彼らが云うのは半分本当で半分は過信であることに、この時僕は気付いていた。
 
市販のCDをアンプを繋ぎ換えて聴いても、成程音の変化を殆どじさせなかったが、それは繋ぎ換えたアンプのレベルが同レベルだったからで、持参したCD(新藤バージョンのSPU-ARF297アーム・新藤バージョンのガラード301RA1474でレコードから録音した)を聴いた時、最初の印象とは打って変わってこのスピーカーは見違えるような音で鳴ったのである。
僕の拙劣な録音は塵や傷などのプチ音が盛大に入っており酷いものだったが、今迄余り気にならなかったそのプチ音が針の様に耳を刺した、どうやら秘密はここらに有りそうな気がするのである。

ヴァイタボックスでもそうしたプチ音は細大漏らさず再生するが、余りそれが気にならない、どう云ったらよいのだろう、こうしたプチ音を包み込んでしまうような ところがあって、音楽を音楽として聴かせるための巧妙な制御装置が付いているようで、その当りは実に旨く出来ているのだが、波動スピーカーはその制御装置 をベッと引っぺがしたように、音という音を全て前面に押し出して、始め聴いた時とは随分印象の違う音だった。
ヴァ イタボックスとは正反対に極めてクリアーな音である。という事は音源が良ければ素直に音が向上してゆく事を意味している。このスピーカーに制御装置が付い ているとしたら、ある一定レベル以下の音源に対しても見事にそれを音楽にしてしまうというところにあって、それ以上の音源に対する制御装置は付いていな い。

トランペットのビラッとした開口部に頭を突っ込んだような音の生々しさには全く驚かされたが、だからどういう音源でも音は変わらないと云う彼らの過信の部分は間違いであって、音源次第でもっと凄いスピーカーに変身する可能性を秘めていると僕は思った。


このスピーカーを完璧に鳴らし切る。貴方は出来るだろうか。

2011.04.23

我が、蹉跌のオーディオファイル #14
真空管とトランジスタ


結果から言うと僕のシステムの内イコライザー・プリ・メインのいわばシステムの心臓部は何れも真空管である。

マニアも挙って「オーディオは真空管だ」という。
ヴァイタボックスを鳴らすための真空管システムを手放した直後、暫くの間僕はトランジスタのプリメインを使った。「MYRYAD」(ミリヤード)というイギリスのアンプである。MI-120という古いタイプの物だという事で、今ではすっかり型番が変っているらしい。買った動機は、イギリスの音に馴染んでいたからという以外に安かったからと味も素っ気もないものであった。

だが売り手は自信たっぷりに「もはや奇跡と云うに等しい音だ」と本気らしく、必ずしも売りたい一心ばかりでもなさそうであった。「この機種はメーカー最初期のもので、これ以後の物は語るに足らない」とも云う。

3日後MI-120は我家に届いた。

「奇跡」辞書によると「既知の自然法則を超越した不思議な現象で、宗教的真理の微と見なされるもの」滅多な事で「奇跡」などと云ってはならないが、MI-120は今迄のトランジスタアンプの概念を覆すには充分な、下手な真空管アンプなど足元にも及ばぬ美音を奏でた。そして、典型的なイギリスの音である。

僕には人や物に対する信仰心の様なものは無いから、真空管をイワシの頭の様に崇める気は無く、自分の気に入った音でさえあれば真空管・トランジスタどちらでも良い。

写真の世界にもその昔、ライカが良いかコンタックスが良いかと大の大人が口角泡を飛ばした議論があった。罪は無いが不毛な論争であり、未だ決着の付かぬまま写真界はデジタル時代に移行した。

結果を言うと販売台数ではライカがコンタックスを圧倒した。多分使い勝手が良く実用的だったからだろう。ライカにはそうした機能美から来るオーラの様なものが存在する。

音の世界には何やら真空管の方が上位に位置するような空気が漂っており、トランジスタアンプなど使っていようものなら鼻で笑われて終わりである。
アンプではないが、ガラード301を売ってしまって、代りにデンオンDP-6000を買って、某所で[プレイヤーは何]と聴かれて答えたら絵に描いたように鼻で笑われた。

戦後日本人が失ったものの中に礼節があるが、真空管を中心とするアナログ機器にはどうやら法則があるらしい。カートリッジはMCでなければない。プレイヤーはリムドライブ、妥協してベルトドライブでなければならない。CDは聴いても良いがレコード中心でなければならない。で、アンプ類は真空管でなければならない。

確かな耳を持つマニアは多く確かな理由あっての事であるけれども、こうでさえあれば音が良い訳では当然ないから、トランジスタを入れないというのは多分に気分の問題もあって、食わず嫌いの側面もあると思うがどうだろう。或いは、本当は聴きたいんだけれども今更格好悪くてトランジスタアンプを使っているなどと云えないなんてことは無いだろうか。

本当はどっぷり汁に付けて食べたいざる蕎麦のようなものではないかと僕は推察するのだが如何なものか。

もしそうなら、自分の趣味だ何の遠慮があるものか。

確かにトランジスタアンプの黎明期の音は高音域に問題があったように記憶しているが、研究の成果は著しく、80年代に入った頃からサンスイなどなかなかな音を出すようになっていたとも記憶している。僕は新藤アンプに出会ったお蔭で音の何たるか、云ってみれば基本を知る事が出来たのは幸運だったと思っているが、35年間高度な真空管の音を聴いたその耳で決してトランジスタを否定はしない。

ベネター・オーディオのMC昇圧アンプもトランジスタである。レコード再生の根っこの部分にトランジスタを使った事が結果として正解だった事を、この音を聴けばどんな真空管派でも恐らく認めざるを得ないだろう。

余談ながら、WEは電話機ばかりでなく、1930年頃から真空管時代のアナログ音声の録音再生に関するほぼ全ての研究をし尽くしているそうだ。その 中で結果の良くなかったものは当然商品化しなかっただけで、僕らの頭で考えつくようなものは大概、それも膨大な資金を使って研究済みなのだそうだ。

何時だったかソニーが発表した四角い平面スピーカーなどがそうしたWEの未発表物のひとつで、ソニーはそれを知っていた筈だと聴いた事がある。彼らの研究は7人をひとチームとして各テーマ毎に研究にあたり、中に医者と弁護士まで配置し過労と特許等の法律問題にも対処していたという。
この手法は軍の手法らしく、7人という人数は一人のリーダーが最も効率良く人を統率できる限界なのだそうだ。

無論人によっては10人でも20人でも可能だが、何処かに疎漏の出るものらしい。

と なれば、魚食民族大石内蔵助などは超人の部類に入るわけだが、それは置くとして、会社組織では社長が7人の取締役を統率し、一人の取締役が7人の部長を文 字通り踏ん反り返って取締り、部長は7人の課長を意地悪くこき使う。以下同様に平社員・新入社員までを統率するのが理想なんだそうで、これで目出度く会社 組織の全体主義構造が完成する。

中国や北朝鮮などは国ごとこういう調子だから、とてもじゃないが僕などは務まらない。即刻ギロチンである。そう、リビアも忘れてはならない。これらは知ったかで嘘を云うような人の言ではないから、恐らく事実なのだろう。

だとすると、MCの昇圧アンプをWEは既に真空管で研究済みだったかもしれない。

時代背景から考えるとトランジスタの原型が開発されたのは1947年それもベル研究所の物理学者に依ってであり、その後も数年の間研究が続けられ、増幅作用 をもった最初の「成長接合型トランジスタ」(僕には何のことやら解りませんがね、増幅作用をもったトランジスタというところが肝腎)が完成したのは 1951年だそうだから、この頃には既にトランスで昇圧する方法を採って商品化していたわけで、そこらの兼ね合いもあってトランジスタのMC昇圧アンプは 造らなかったのかもしれない。

事情は解らないが、どうあれWEはトランジスタのMC昇圧アンプを開発する事は無く、世界で最初に商品化されたMC昇圧アンプはVT-MCTLであり、そのクリアーな音色はトランジスタを鼻で笑ってはならない事を如実に証明していると僕は思う。少なくとも僕が聴き比べた菅野トランス(30万円ほどするらしい)など随分籠った音に聴こえて比較にならなかったと云っても言い過ぎではないだろう。

MCカートリッジが発する電圧は極めて微小なものだから、そうした個所はトランジスタの方が良いとベネターの社長は云う。僕に理屈の解るわけは無いが、何でもかんでも真空管が良いとは言えない事をはっきり証明した事だけは確かだ。

一方でメインアンプはやはり真空管に軍配を僕は上げたい。音の暖か味が違うように思うし、何処かほのぼのした空気が漂うのは、これが真空管の真骨頂といっても良いだろう。
もとより好き嫌いのある事だから「いや、僕はトランジスタの方が良いと思う」という意見に異を唱える気は更々無いし、世の中に存在する全てのアンプを僕は聴いているわけではないから否定は出来ない。

ただ自分の耳で聴いた限りでは350Bを使った新藤アンプ124Dを超えたトランジスタアンプを聴いた事が無い。

後にこの真空管は6L6に換ったが、音の甲乙は付け難く、350Bは力強く迫力ある、言い換えるならじゃじゃ馬のような魅力があり、6L6350Bに欠けた音の繊細さと品性を持っている。350Bよりもう少し洗練された音の様に僕は思った。(ただし、6L6GCになるとある種の空気感のようなものが失われる。どうしてか僕に解るわけがないが)

トランジスタのメインアンプには迫力もあり、繊細さもちゃんと併せ持っていると僕は思うが、暖か味や潤いに欠けるという以外にもうひとつ何か大切なものが欠けているように僕には感じられる。
変な言い方をするようだが、植物には聴かせられない音であるように思う。

単に肌が合わないということかもしれないが、それが正確な言葉になって出てこない。

ミリヤードMI-120の音はこうした言葉にならないトランジスタアンプへの不満を感じさせないのである。
追っかけて売り手は「このアンプはプリとメインを個々に使う事が出来るが、プリメインとして使ってこそ本領を発揮する」と力説していたが納得のゆくアドバイスであった。

プリメインアンプもどちらかというとマニアから馬鹿にされがちな側面を持つが、何の、捨てたものではない。

プリとメインの間を最短で配線してあるわけだからそのメリットも大きいと云える。

モンスターケーブルを使えば問題ないと思うかもしれないが、アンプ間のケーブルは短ければ短いほど良く、無いのが一番良いという事に異論は無いだろう。第1モンスターケーブルという奴がとんだ食わせ者だから要注意でもある。
マニアの習性のようなもので中を覗いてみたら電解コンは全て日本製だった。(その他の部品の国籍は不明だが)
マニアの間では部品にも根強い信仰のようなものがあるが、日本の部品のレベルは近年猛烈に高くなった。僕らはこの世界に冠たる自国の技術レベルをもっと評価した方が良いと思う。

だがその生産レベルを中国に任せるようでは元の木阿弥である。

安かろう悪かろう。

女賢しゅうして牛売り損なう、というが常にトップを維持する努力を欠かしてならないのはコンピューターばかりではない。

結論を言うと、真空管とトランジスタはバランス良く配置すると、最高の相乗効果を発揮するものだと認識を新たにしたところである。
ミリヤードMI-120の後継機の音を聴いてみたいと思うが、何処で聴く事が出来るのだろう。

2011.04.13