2014年12月18日木曜日

我が、蹉跌のオーディオファイル #12
FMチューナー

FMチューナーはマランツ♯10Bに止めを刺し、未だに音質でこれを凌駕するものは出てきていない。

三十年程前、どうしても金が必要でこれを売ってしまった。後悔先に立たずである。
今となっては高価過ぎてもう一度買おうという意欲が起きない。
売ってしまった当時、当初から所有していたソニー5000Fは10Bの鮮烈な音の記憶のお陰で聴く気にならず、それから三十年ただ置いてあっただけで殆ど聴いていなかった。

先日音を出してみたらバサバサ雑音が凄かった。長い間放置していたのでコンデンサーやトランジスタなどがいかれたのだろう。脳味噌もそうだが使わないと傷むのが早い。
近頃、FMもまた聴いてみようかという心境だったので、ならば直してみようと思い立った。
回路図を探したら出てきたので早速部品を洗い出し、電解、フィルムのコンデンサーの全て、
IF段とMPX回路の抵抗の全てを交換する事にした。
云うまでもなく直そうとしたわけだが、ただ直すだけでは面白くないので、序に音質向上を図ろうと、まあ、助平根性を出した訳だ。

電解コンデンサーはニチコンのオーディ用、フィルムコンデンサーはフィリップス/ムラードのマスタード、抵抗はIF段にタクマン電子のREYを使い、MPX回路は同じくタクマン電子のREXを使う事にした。REYは誤差1%、REXは誤差5%ながら音質に優れる。
REXは色が嫌な浣腸色という欠点はあるもののそれは欠陥ではないし、アンプの内部は見えず、性能とは関係ないのでお勧めである。
音質の良さでは1・2を争うDALEとは一味違ってこれはこれでなかなかなものである。
マスタードは基盤に付けるには工夫が必要だが音が良いので無理やりくっ付けた。
そこまでやるならバンブルビーだって良い話だけれども、残念ながら容量抜けの物が多くWEの部品と同じで良質なものは今や殆ど残っていない。
昔は美人だった100歳婆さんの様なもので嫁に貰う気があると云うなら敢えて止めはしないが。

真空管時代のコンデンサーをトランジスタアンプに使う事の良否はやってみなければ解らないから、余りに高額な出費は避けたかったという事情もある。
皆さんがどう想像していらっしゃるか解らないが、若い頃悪ふざけが過ぎて僕は金持ちじゃない。世の中はうんと真面目に生きなければいけない。
さて、部品が揃ったら後は手先の器用さに頼る作業が待っている。コンデンサーの交換は大した手間ではないが抵抗の交換には根気が必要である。
ソニーの仕事は丁寧で、基盤に差し込んだ足をきちんと折り曲げて半田付けしているので、これを外すのは矢鱈面倒である。
気の短い僕には拷問に近い作業だから時々癇癪を起して怒っている顔がガラス窓に写ったりする。ただでさえ見たい顔ではないというのに、全く、鏡を見てうっとりするナルシストの気が知れない。
作業がもたつくと近くのトランジスタが熱でやられるので各部品の交換は出来るだけ素早く取り除き、素早く取り付ける必要がある。不器用な者には特別血圧に悪い。
こうして頭が沸騰する場面に100回程遭遇してみると、それでも一つ一つ作業は進んで、目出度く修理・改造は完了した。(5000Fに使われているトランジスタは選りすぐりの物なので無暗に交換せず出来るだけ其の儘使った方が良い)
10Bには遠く及ばないもののなかなかな音に仕上がった。
自分で直したという満足感は音を良質なものに変貌させることもあるのだとこの時気付いた。「医者は自分の手術の出来栄えに患者を忘れて陶酔する一瞬があるようだ」とある友人が言っていたのを思い出す。「『なんて綺麗な出来栄えだとうっとりして呟いたのを手術台の上で聴いた。この時明らかに患者の事は頭になかったようだ」と云うのである。これでちゃんと治癒すれば万々歳である。
さて同時に、今更めくようだがFMチューナーはカートリッジの様に機種によって色々な音を楽しむ事が出来ることを再認識したから、昔音質の良さで評判だったTRIOKT-7000のぶっ壊れたのをただ同然で買ってきて、もう面倒だから抵抗には触れず、電解コンデンサーとフィルムコンデンサーを5000F同様付け換えて蘇生改良させる事にも成功した。
「なんて綺麗な出来栄えだ」組上がった基盤を眺めてそうは思わなかったが、そこそこの出来栄え、KT-7000は5000Fより太めの音でポピュラーな音楽はとても良い。
同じTRIOのKT-8000があっさり澄んだ音なのとは大違いである。改良したつもりが改悪だったのか、メーカーに音の統一性が無いのか、同じTRIOでも全く音が違う。
何年前だったか、某君の事務所移転時にステレオを入れたいというので、チューナーはマランツのST-8を推薦した事がある。この事務所の再度の移転の際に記念に頂いて、改めて聴いたこの音は若干10Bの香りがして一貫したマランツの思想の様なものが感じられる。
4機種の総合点を付けるならST-8が僕にとっては一番高得点である。
結局、現在4台のFMチューナーが我家に存在する。「放送される音楽は一つでしょうに」空耳かもしれないが遠くで家内の声が聴こえる。
女は現実的だから理解を求めても無駄である。意味のない笑いで誤魔化すしかない。
「修理は兎も角改良など余計な事」と味もそっけもない発想を家内はするが、半田鏝を持ってごそごそやってるのを見たって修理か改造かの見分けは付くまい。ざまあ見やがれだ。
音はある一定レベルの所に線が引いてあって、其処までは設計が間違っていなければ大概の物は結構良い音を楽しむことが出来るし、音質はどれも左程の差は無い。
しかし、問題はその音をもうちょっと良くしたいという、その「もうちょっと」の所が部品の勝負になって、微妙な音の差を生みだすのに金が掛るのである。
例えばロシアの真空管ならクワッドで1万ちょっとだが、アメリカやイギリス等のビンテージ物は10万といった様に抵抗もコンデンサーも一事が万事こういう具合に値段が嵩んでゆく。
しかし明らかに音質が違うので、一度聴き比べて仕舞うと後戻りが出来なくなるのだ。
割り切って考えるなら中国製だって音が出ないという事は無いから、それで良いなら何をか言わんやだが、こういう話もある。
現実離れしてむきになって膨大な開発費を投入した男マランツの10B。
この開発はマランツの経営を大きく傾けたと以前聞いたが、マランツ此処に有りという名声を不動のものにしたのは#7などと並んでこの10Bである事に異論は無かろう。
まことに、禍福は糾える縄のごとしである。福だけを求めると何処かで行き詰まる。
ところで、こうした柄にもない僕の努力は何のためだったか。云うまでも無く良い音でFM放送を聴くために決まっているがFMファンにとっては此処に重大な問題が存在している。電波規制である。
それでも随分緩和されて民放はそこそこ増えてきた。そのこと自体は喜ばしい事だが、手放しでは喜べないもう一つの問題が存在する。
詳しい事は知らないが、NHKのFM放送に使う機器はどれもこれも以上無いという程、オーディオマニアがそれこそ涎を垂らして卒倒する程優秀で高音質なものを使っているらしい。
と、そう聞いても放送局なんだから驚くに当たらないが、ならばと普段聴かない民放を改めて聴いてみると同じ放送局でも音質は全く違っていて、NHKと比べて音が妙に太くて荒くてきつく、綺麗な音とは聊か言い難い。物解りの悪い爺さん取締役がスタジオ機器の決済を渋った結果か、スタッフの耳が悪いとは思えないので、もし若者向けに意図的にそういう刺激音を造っているのなら大きな違いだと云わねばならない。総じて民放の音は品性に欠けるというところが一番の問題である。
三十年前と同様NHK・FMは今でも1局しかないが、当時FM東京しかなかった民放は今では新聞の番組表によれば僕の住まいの逗子周辺では6局もこの猛烈な刺激音を聴く事が出来る。
昔特高の拷問にガチャガチャ穢い音を聴かせ続けて眠らせないというのが有ったらしいが、
今なら特別の装置を必要としない。どの局でもいいから三日程民放を聞かせ続ければ大概の兵でも堕ちるだろう。
音の穢い民放が6局もあって、音の良いNHKが1局しかないというのはどういう事だろう。
NHKのAMには第1と第2放送が有るんだから、FMも第1・第2・いや第3放送くらいやって欲しいものだ。クラシックとジャズと後は何でもござれの専門チャンネル3局である。
スパイ天国日本の電波規制は厳しくてFM開局は結構難しいと聴いているのにそれにしては穢い音を出す民放ばかりが増えているのは不思議な事だ。
そればかりではない、去年レコードを掛けていたら不思議な音声が聴こえてくるので耳を澄ますと、中国の放送が日本海を越えてカートリッジやアームをアンテナとして受信しているのに吃驚。
ラジオが音を拾うなら兎も角、僕はレコードを聴いていたんだから余程強い電波を発信しているのだろう。それをイコライザーアンプで増幅していたという事らしい。

全く、不愉快な事極まりない。
 
自国の放送は中途半端に制限して、中国の無法プロパガンダ放送には文句ひとつ言えないなら阿呆な話だ。政治を語るのが本旨ではないから一言にするが、我が国の政治には哲学が無い。序に云うなら民放テレビなどは哲学どころか教養・節操の欠片も無い番組ばかりで、若者(ジジババも)の頭を狂わせ洗脳している。凶悪犯罪が増えているのは政治が悪いとテレビは云うが、其れよりもそう云って憚らないテレビと一部の漫画の影響の方が余程大きいだろう。

規制するならテレビ電波とエログロ残酷描写の漫画ではないのか。
表現の自由といっても無制限で良い筈がない。
節操は哲学から生まれる。その哲学が政治にも行政にもマスコミにも無い。
さてさて、折角の機材も1局しかないのでは如何にも勿体ない。という事が云いたかったのだ。

民放でもよいからもっと良い音で良い音楽を流せば、少しは荒れた心が和むかも知れない。

2011.03.01

2014年12月15日月曜日

我が、蹉跌のオーディオファイル #11
レコードの再生音

レコードに刻まれた本当の音とはどんなものなのか、レコード製作現場のスタッフも、
自分の録音した音をモニターで聴く時、再生機器によって音が違ってくるわけだから、
厳密にいえば正確にはどれが本当の音なのか判じ得ない事になる。


だが、レコードには制作現場で造られた音が刻まれているというだけは確かだがレコードとして、家庭用の再生装置で心地よく聴こえる音に調整れているものと思いたいが、制作現場を想像してみるとそうした善意が期待出来るかは疑問である。

こうした現場は云ってみれば僕らオーディオマニアと似たような心理状態にある人々の自己陶酔の世界だから、自分達の理想の音で録音できさえすれば彼らは満足な筈であるから、必ずしも消費者に対する善意を期待できるものではないのではないかと思われる。

そして我々はそうして録音されたレコードをそれこそ千差万別の装置で(カートリッジ、アンプ、スピーカー等の様々な組み合わせ)聴いている。

ちょっと考えただけで録音された時と同じ音で再生する事の難しさが解るし、同じレコードが千差万別の音で再生されている以上どの音がレコードに刻まれたが、本当の音なのかという事は聴き分けようが無いことも解る。

まして、一時期の宣伝文句にあったような生その儘の再生などあり得ない事も解る。

だがしかし、マリア・カラスの声はどんな装置で聴いてもマリア・カラスの声で聴こえる。
ラジカセだってカラスのソプラノがサザーランドの声で聞こえてくるような事は無い。

言い換えればどんな装置だって充分に音楽の真髄を享受できる訳だ。

しかるに、我々気狂い共は、マランツでなければ、マッキンでなければ音ではないといきり立ち、いやマランツやマッキンなど音ではないと眼を充血させる。

博打等の不届きに金を投入するよりは罪のない趣味だとは思うが、余りのめり込むと碌な事は無い。

こうしてレコードに刻まれた音の事だが、これを掘り下げてゆくと結構厄介な問題にぶつかる。
それは、レコードには当然ながら針で拾うための音溝が刻まれているが、その振幅の刻み方が各レコード会社によって各社各様違っているということだ。

ただでさえ、レコードの音を正確に再生するのは難しいと云うのに、この問題は更にそれを難しいものにしている。

つまりこういう事だ、もしレコードに実際の音と同じ周波数の振幅で溝を刻むと低音の振幅が大き過ぎて針がトレースせずに飛んでしまう。

そこでレコードには低域を減衰し、高域を強調して刻む。

つまりそのまま刻みこむ振幅を小さなものにすると、其の儘再生すると高域が強調された音になる。

なので、我々が聴いている音はそれをイコライザーで反転し、正常な音に戻したものである。

通常僕らが聴いている普通のイコライザー・アンプにはRIAAという統一規格で音が刻まれている事を前提にしているから、再生時にRIAAカーブで反転するように出来ている。

1955年か8年だったか録音カーブはRIAAで行きましょうと世界レベルで規格化されたからだが、
実際は殆どその規格は守られていなかったのが実情であるらしい。

規格化以前のSPやモノLPなどは当然としてもステレオLPもそうだったとは僕は知らなかった。

それで平気で聴いていたんだから、カーブによる音の違いと云ってもその程度のものなのだが、録音カーブにはRIAANABAESFFRRColombia LPOld RCA,等々様々あり、其々高域と低域のカーブが微妙に違う。これを更に複雑にしているのは高域はNABで低域はRIAAなどと混ぜて使っているレコード会社がある事だろう。

こんなものを正確に再生するという事は困難を極める話で、やって出来ない事は無いだろうが、
アンプの嵩はかなりのものになるだろうし、いちいちこのレコードはどのカーブとどのカーブが使われているか調べてそれをアンプで調整してなど馬鹿らしくてやっていられない。

第1調べたって正確なデータを得られる保証は全くなく、要するに制作側では余り頓着されない問題だったとしか言いようがない。

市販されたアンプの殆ど全てが、「その辺の事は面倒臭えし、一々やってられねえ」というんで、これは世界の統一規格だと大義名分もあるし「リアカーブ1個で聴いておれ」と云う事になったのが実情であるらしい。

先にも云ったように音の差と云ってもはっきり聴き分けられる人など先ず居ないだろうから、一概に企業の怠慢と云っては各メーカーが可哀相だから「何とかしろ」と今更迫る気は毛頭ないものの、カーブがピタリと合ったレコードの再生音には当然効結果が表れる。

今迄、何となく音がくすんだように聞こえたり、伴奏のピアノが霞んでいたり、音のメリハリに欠けたり、潤いが無かったり、ヴァイオリンの音がきつかったり、どうあれ何か変だと感じた事は無かったろうか。

CBSソニーの様に元から変な音を出すレコードというのはそうそうあるものではなく、大概はこれらがカーブの違いによる悪影響であると思ってよいだろう。

それがうまく当たって刻まれた音と同一のカーブで反転出来ると、靄が一遍に晴れたように音がクリアーになる事があって、こんないい音だったのかとカビだらけのレコードを再認識する事もあるから、これはこれでやりだすと嵌るのである。

モノLPがこれ程艶っぽいものだとは僕も知らなかった。ステレオ程の音の広がりこそないが、ボーカルなどは手が届くように生々しい。

そういえば、子供の頃我家にあったエマーソンのラジオ付きポータブルプレイヤーの音が確かこういう傾向の音だった。50年代の半ばだったからイコライザーがRIAAでなくて、レコードのカーブとぴったり合致したていたのかも知れない。

ハワイのK・S WORKSという小さなメーカーで「Phono-01」というイコライザーアンプを出している。
このアンプは主にアメリカのレコードを対象にしているらしく「RIAAの他にNABAESを備えている。嵩は小さいが兎に角聴いてみてほしい」と説明にあったので興味を持ったが、当初は音質よりもカーブの違いで音がどの様に違ってくるかの興味の方が強かった。値段が手ごろだった事もあって半ば衝動的に買ったと云っていい。

聴いてみたら見てくれとは大違いで音のバランスが良く音質はなかなかなものだった。

カーブが合致すると声がまるでアバターの様に生々しく迫ってくる、このイコライザーは素晴らしい。

面白い人が居て「音なんかより所有欲を満足させたい」と云ってWEやら何やら名の通ったものや大向こうを唸らせるプロ機等を掻き集めているという。

「歳とともにそうなる」という所が僕とは逆で理解し難いが、ブランドものを欲しがる心理が解らないわけではない。特に我々世界の埼玉県人はその傾向が強く、頭の先から爪先までグッチやセリーヌで固めた、お兄ちゃんお姉ちゃんが、いやおじちゃんおばちゃんもごゴロゴロいる。

似合う似合わないはどうでもよい事らしい。

チンドン屋とまで揶揄はしないが、着ている物が良いだけに気の毒に思えてならない。

鹿鳴館を皮肉って、ローブデコルテを着て踊る出っ歯のサルを描いた某国の侮辱的な一駒漫画に時を超えて悲しい思いをした事があったが、21世紀の僕らはもうそういうものを卒業して、自分の身に付いた行いに努めたいし、自分達が先頭を切ろうという気概を持っても良い頃だ。


K・S WORKSの経営者は日本人である。 「何でも自分で確かめなければ気が済まない」と云う。

こういう人の造るものはまず間違いない。他人の褌で飯を食っている評論家の言など全く当てにならないと改めて認識してみれば、真似事しかしなかった我が国の一流メーカーはそこそこの物は造ったが結局何もしなかった事が良く解る。

オーディオは間違いなく新時代に入る。全ての物は自分の耳で選ぼう。
世に出ていない優秀な小企業が幾つもあるはずだ。
しかし、断言してもよいがレコードだけはまだ残る。
何故と問うまでも無い。レコードの音質を超えるものが出現していないからだ。

2011.02.14

2014年11月20日木曜日

我が、蹉跌のオーディオファイル #10
ダイナコMKⅢ・音と音楽

古い真空管のメインアンプにダイナコMKⅢをご存知の方も多いと思うが、最近それを入手した。



無論40年ほど前の代物だからその儘で良い音が出るわけではない。
購入時、初段の6AN8を除いて整流管も出力管も中国の糞球が付いていたので電気を入れる前にドブに叩き込み、音に良心がない、こんな中国球を使うくらいならラジカセのが余程ましだろう。
嘘だと思うなら日本製のラジカセと聴き比べてみると良い。
そして日本や西欧諸国の球と聴き比べてみることだ。論より証拠である。

何に依らず、総じて中国製品には良心に欠ける安物が多い、中でも真空管は特筆ものなのである。

5AR4ムラード6550タングゾルのペアー管に付け換えた。
カップリングコンデンサーはオリジナルのブラックキャットから0.1μをスプラグB・Q、0.25をウェストカップの0.33に代え、抵抗は片方のアンプの初段周りの47K、270K、1.5M、680Ωが劣化していたのでこれ等を測定機用の良質の抵抗に付け換え、内部配線もオリジナルと思しき黒被覆の細めの単線から太めの縒線に換えた。

ブロックコンデンサーは奇跡的に両アンプ共元気だったので其の儘にしてスペアーを確保した。
このブロックコンはコーネルドゥビラー製で余り見掛けないが出来るだけ同じものを使った方が良いだろうと思われる。どうしても見つからなければ、ドイツF&T製のFTCAPが良さそうだ。

ダイナコはずっと気になりながら理由も無く何処かで馬鹿にしていて、横目で見続けてきたが不見識だった。
手入れ後のこのアンプの音は素晴らしく、スカッと澄んだ力強い音で、名機と云うに相応しいと思う。何故もっと人気が出なかったのだろう。キット製品だからだろうか。
少なくともマッキン275の様にブワブワと締りのない音と比べると遥かに僕の好みには合っている。

出力管はウルトラリニア接続である。この回路が開発された当時一世を風靡した事はオーディオ史に記されている。
内容は極めて簡潔であり、もう何処にも手を入れる隙間が無いように思われる。
また、このアンプは端子類や少数の部品を除けば最高級の部品が適所に使われている。
レベルの低い部品、劣化した部品は新しい物或いは優秀な部品に取り換えれば良い訳だから入力端子をキャノンに換え、250KのVRを付けた。
 
電源スイッチは特にお粗末なので良質の物に交換、残る要変更箇所はバイアスのポテンショメーターとダイオード1個。これだけ処置すれば一生ものである。
問題のダイオードだが、オリジナルにはセレン式の物が付いていて、ダイナコはジャズ向きと云われ若干クラシックに不向きな音なのはこいつの所為である。
何時も悪口を言うウェスタンエレクトリックだが、このダイオードばかりはWE製を使いたい。
無論腐っていなければの話だが、探せばまだ見付かる。
僕は運よく見付けて付け換えたが、こんなもの1個で音の次元が違ってしまうから部品の選択は大切である。MKⅢをお持ちの方は是非とも探されるとよい。
 
これで安心してクラシックも聴く事が出来る。
 
誤解のないように云って置くが、僕はWEの製品そのものを否定しているのではない。
否定どころか信奉者の一人と云っても良いかもしれないくらい信頼しているが、今となっては径年で劣化しているものが非常に多く、それらがWEと云うだけで法外な値段で売られているので買う時は充分な注意が必要だと云っているのである。
腐っても鯛というが、電子部品で腐った物は只の腐った物だ。

アンプのスペックは以下の通り。
周波数20Hz~20KHz(実測を依頼したら15Hz~35KHzあって測定者がのけ反っていた)
入力1.6V、出力60W 出力インピーダンス4・8・16Ω  消費電力MAX140W
 
このアンプの最大の問題は60Hz仕様しか存在しないので、関東ではトランスの発熱が大きくなり、唸りも大きくなり勝なことだ。

この電源トランスは中間の両脇を2本のボルトで締めてあって、4隅の穴には元からボルトが通っていない。径年でこの部分が緩んで唸り音が増している事がよく あるので、4隅の穴にボルトを通してしっかり締めつけると随分緩和される。トランスが冷えているときに締めるとよい。あとトランスとシャーシーの間に緩衝 材を入れる手もありそうだ。
どうあれ、昼間なら左程気にならないが夜静かな音で聴こうという時には聊か耳触りなのでいずれ特注してでも取り換えようと思っている。

その時序に2次電圧を落として球を6L6に付け換える手もありそうだ。(僕は6L6が好きだから)巷間言われているように出力トランスが優秀だしきっと良い音になるだろう。旨く行かなければ元に戻せばよいのである。

音の好みは自分の耳に有るのだから、一流の機器だって遠慮しないでどんどん手を入れて自分の耳に馴染む物にしてゆけばよいのだ。評論家などに踊らされて矢鱈に買い替えたりしない事だ。

古いアンプの問題点は、各部品の劣化に有り最近のアンプの問題点はコストパフォーマンスうぃ考え過ぎる所にある。
デザインは良くなったが音が良くなったわけではない。
どちらを採るかは個々の問題だが、僕は古くても良質の物を選んで劣化した部品を、当時の良質で基の性能を保っている(出来る限り)ものに交換する方向を選んだ。
 
さて、あれこれアンプだのプレイヤーだの弄りまわして、それはいったい何のために、という事だが、30年ほど前の某誌に、何台ものアンプやら何やら山の様なオーディオ機器に囲まれた音キチと思しき人物が「読書と音楽は精神的な米の飯」とのたまう件があった。

何が云いたかったのか、余り変だと妙に記憶に残るものだ。
普通に音楽が楽しめるならオーディオの用は足りるのである
あれこれオーディオ機器を弄るというのはまた別の楽しみなのだ。
ここらの事を一回整理してみると良いかもしれない。
2011.02.10

2014年10月21日火曜日

我が、蹉跌のオーディオファイル #09
MCカートリッジの昇圧

ご承知のようにMCカートリッジは昇圧しないと其の儘では音にならない。

最も有名且つ優れものはEMTオルトフォンで旧型のSPU-Aは未だに根強い人気で、
今はプレミアムが付き、時として法外な値段が付いている。
でもまあ欲しいという向きには10万だって20万だって安い買い物なのかもしれない。
だが、カートリッジだけでは音が出ないから、今迄僕らは昇圧トランスでステップアップした音声信号をアンプを通して聴いてきた。
このトランスがまた箆棒に高価でお決まりのウェスタン製など目玉が飛び出る。
今や滅法を通り越して末法の世界の値段である。「末法高い」などと云う言葉は無いが新語に加えてもよいかもしれない。

で、此処までやるならアームはオルトフォンのせめてRMG-309クラス、出来ればRF297を望みたいし、これらに釣り合いのとれるターンテーブルは従ってガラード301でなければならない。

と云うのが通り相場で、これさえ揃えればレコードは少なくともイコライザーの手前までは良い音で再生出来ると信じられてきた。
事実この事は70%方当たっており後に続くアンプやプレイヤーの性能や設置場所の条件が良ければ、かなり良い音で再生するものだ。

だがしかし、
今迄誰も指摘しなかった事だが、このMC再生に関して僕らは基本的なところで間違えていた。
過去に普段から知ったかぶりの評論家先生の誰一人この間違いを指摘し是正した人は居ないし、
今現在も居ない、評論家ばかりではない、平気でそういうものだと鵜呑みにしていた僕らだって大した耳を持っていなかったという事になる。

それは、またVenetorの平塚ショールームに数ヶ月ぶりにお邪魔した。
新製品のイコライザー付きA/Dコンバータを聴いてみないかというので、いそいそと出向き早速試聴した。

霧が晴れたようなクリアーな音に吃驚吃驚、その理由を尋ねたら、社長曰く。
「MCカートリッジの昇圧は微弱な音声信号を増幅するわけでトランスはリアクタンスという周波数に反応する抵抗分が有るので音が変わる、音が曇ると言われます。ならば入力信号の波形をそのままの形で増幅できれば望ましいのですが、いかんせん増幅するには電源が必要です。

電源部からの歪みが乗っていたら元も子も有りません、本当に微弱な信号なのでIncubation(卵をふ化し手厚く育て上げる)が必要で、NFなんかもってのほか、そのために必要なきれいな電源を電池からであれば簡単に作ることがでます。その考えで作ったのがこれです」とVT-MCTL(MCトランスレス)” を見せられた。

Venetor Soundのスタッフはデジタル専門のハード、ソフトの開発者ばかりと思っていたと言ったら、「私たち下請けで開発していた、医療器、高級デジタル・カメラのアナログ処理はオーディオの比ではない数十倍難しいよ」と社長さん。

兎も角その音を聴き、トランスの(パートリッジ菅野トランス)音と聴き比べ、35年間何の疑いも持たなかった僕のトライアッド・インプットトランスの音も結局正しいとは云えなかった事を実感した。

WEウェストレックスノイマン等々優秀なトランスは沢山あるが是非にもMCTLと聴き比べてみる事をお勧めする。
霧が晴れたような音の差に貴方はきっと涙を流すだろう。今迄自分が信じて大枚を払ってきたものは何だったのかという事にである。

世の中には2000万円クラスのモンスターアンプやプレイヤーやスピーカーが存在するが、
僕はお勧めしない。そんなにお金をかけなくてもほんの僅か2000万円の450分の1程度の投資でレコード音楽はそのお宝同様に享受出来る。その事が一層明確になった。
嘘だと思うならVenetor Soundのショールームで聞いてみるとよい。

話しはそれるが、平塚に来ると、いつも立ち寄る焼き鳥屋さん“とり竹”味は絶品ですよ。
鳥わさ、鳥のたたきなど生ものも絶品、安いし立ち寄っては、試聴ついでに。
2011.02.02

2014年9月30日火曜日

我が、蹉跌のオーディオファイル #08
イコライザー③

今回は最初に云っておくべき事を云い忘れていたので、電源の事をちょいと一言。

どんなに優秀な回路で優秀な部品を使ったアンプでも電源がチャチだと正直にチャチな音になるからこの事を先ず銘記したい。
しかし、これは考えてみれば当然の事で、アンプの中を通る電気を造っているのが電源なので、ここの質が良ければ良い音がして、悪ければ良い音がしないのは当り前の話である。
此処では極普通の回路、整流管で交流を直流にする回路に付いて申し上げておこう。
(トランジスタの事は知らないが、真空管でイコライザーを造るなら整流管を使うほうがより良いだろう)

電源は回路が単純なだけに須らく部品の良し悪しが全てを決定する。

先ずは電源トランス。

今ではトランスも良い物が少なくなった。日本製ではタムラタンゴ野口トランス等があるが、積極的にお勧めはできない。そこそこの音は出るが良質とは云いかねる。
僕は野口でやったが、大いに不満が残っている。音に締りが無いのは間違いなく電源トランスの質によるところである。

トライアッドはとっくに消えているし、ウエスタンな ど今や単なる伝説に過ぎなくなってしまった。(もう程度の良い物は残っていない)ここは一つ特注をお勧めする。

特注だからと云って高くつくような事はな く、イコライザーのトランスなら普通1万円以下である。因みに野口トランスの既製品は7500円で僕が発注した特注品は8000円である。


2次側に240V程度、12.6V、5Vがあれば大概のイコライザーは何とかなる。

次いで大切なのは整流管、こんなもので音が変わって堪るかと思う向きもあろうが、実は整流管が音を決定すると云っても過言でない。同じ5AR4でもピンはムラード、切りは中国製の全て、(オーディオに関する限り中国製など決して使うべきではないと声を大にして云って置かねばなるまい。安物買いの銭失いとは真さにこの事で、誠意の欠片も宿っていない粗悪品ばかりである)
此処はしっかりしたメーカーの本物を選ぶとよい。

次は電解コンデンサー。今迄はマロリースプラグを 良しとしてきたが、案外日本製の電解が素晴らしい。ニチコンでもエルナでも良いがちゃんとした日本製なら間違いないだろう(実は中国製と云う事も最近の製 品には有るのでここは店に、或いはメーカーに確認を取るのが良いだろう。直にメーカーに電話して製造国を確認すればよいのである)
そしてオイルコ ンデンサー。これは整流管から直近に8~10μf程度を使うと良いだろう。(コーネルをお勧めする)チョークを通して次の電解は250μ程度が良いが、こ のコンデンサーに0、22~1μ程度のグラスマイカコンデンサーをパラで繋ぐ事をお勧めする。コンデンサーの質にもよるが高域の輝きが違ってくる。

ヒーターは使う真空管によって色々だが、直流点火するならヒーターチョークを使うのが一寸した山葵である。これで一味違った電源が出来るだろう。

こ こで少し話題をかえるが、食品では産地偽装が話題になったが、オーディオの世界ではとうだろうか、近年、目新しい真空管アンプ・メーカーが出てきたが、小 さい文字で”Made in Chine”と 表示すればまだましで、真空管、コンデンサー、トランスは中国製、日本で最終組立てと検査を行って”Made in Japan”は偽装ではないのか。趣味人のためにパーツの産地表示をしてほしい。中国製で音がよければ堂々と表示すれば良いのではないか。

日本製で有るか のようにしユーザーが気づくまでの時間差で利益を取り込んでるとしか思えない。

2011.09.12

2014年9月22日月曜日

我が、蹉跌のオーディオファイル #08
イコライザー②

部品で音が変わる。
もう知っている人は知っている事実だが改めて云っておく価値はあると思う。

最初の計画を縮小してプリアンプだけにして赤豚の制作は数年前にスタートした。
この時は抵抗をAllen Bradley(アーレン・ブラッドレイ)、コンデンサーは電解にマロリー、カップリング、スプラグビタミンQ他同等品、その他オレンジドロップ等を使った。このあたりの部品はマッキンC22などに使われており、音質的にはかなり良好なものである。

以前三栄無線のSRPPプリアンプと4300Bメインアンプの中身を全てこれらの部品に取り換えた事があるが、ぼろ糞だったこのアンプはマッキンC22MC275のコンビよりも音が引き締まって時としてこれらを凌駕する程の音を出した。部品で音がどれだけ変わるか実証済みだったので迷わず当初はこれらの部品を選んだのだ。

しかし、アーレンの難点はバラツキがある事で、3Kの抵抗が2.8Kだったり、3.3Kだったりする。これが音像のふら付きを誘うのかどうか解らないが、後 にこれはもう少し厳密なデイル中心に置き換えた。音質的には左程の差は感じなかったが、気の所為か音全体が落ち着いたように感じた。


進める人があって、最近それを更に無誘導巻線抵抗に替えたが、これによる音の変化は劇的だった。音の背筋がピンと伸び、前へ飛んでくるような音に変わった。

コレステロールが無くなって血がさらさら流れるように不純物が消え去った感じである。

各楽器の位置のふらつきが無くなり、音が明確になるなど二皮も三皮も剥けた音に文字通り大変身し、この時点でアンプの次元が大きく変わった。

こうなると止められなくなる。

この抵抗の出所はアメリカだそうだ。メーカーは解らないが通常僕らがイメージする抵抗器とは随分形状が違ってコンデンサーのような形をしている。
一個一個抵抗値を測って買ったがどれも表示との狂いは0であった。

駄目元の気分でというより半信半疑でやったことだが、音が出た途端にそうした気分は吹っ飛んだ。部品としては安くないし、数が少ないので必要な値を揃えるのに苦労したが、マッキンマランツのビンテージアンプを買う事を思えば価格的にはタダみたいなものだし、再度云うが出てくる音は次元が違う。

抵抗をデイルに取り換えた頃、同時にコンデンサーをウェスタンの弁当箱みたいなごつい奴に替えた。若干ビタミンQよりいい音の様に思ったが、これはそう思い たい気分が聴かせる音で、実際はそれほどの差は無く、落ち着いてくると殆ど差が無い事に聊かがっかりさせられた。また戻すのも面倒だから其の儘にしたが、 お陰で重くなった。重い、でかいは誉められない。

この頃カソードのバイパスにはSPRAGUE(スプラグ)の100マイクロを使ったがこれは少し怪しかった。従来のスプラグ製品に比べると何処となく薄っぺらで価格も安かった。中国製ではないかという人が居たがそうかもしれない。(中国製のものは例え安いからと云っても手を出さない方が無難で結局捨てることになる)

このバイパスは30年ほど前に銀タンタルの150マイクロの買い置きがあったのをすっかり忘れており、思い出して引き出しの奥を探ったら出てきた。
カソードのバイパスにはこの銀タンタルが良く、音が引き締まる。
早速付け換えた。詰まった煙突を掃除した時の様にすっきりした。
これで一応一段落し、ここらでもう良いかと思ったが長くは続かなかった。


抵抗器であれだけの変身ぶりならコンデンサーにこれ以上の物が見つかれば更に又次元がアップするかもしれない。隠れた名品がきっとある筈だ。

それが有った。


結果から先に云うと、先ずカップリングだが、Tektronix(テクトロニクス社)(オシロスコープなど測定器の専門メーカー)の0.1マイクロのオイルコン、これはハーメチックシール(湿気が入らない)処理が施してある。低音部の0.01マイクロはベルマークのウェスタンの(スプラグのOEM)ペーパー オイルコン、高音部はテクトロニクス0.001とスプラグビタミンQの0.001をパらにした0.002マイクロ、最終段プレートからの出力段0.5マイ クロは、ハーメチックシール処理されたウェスタンの軍用オイルコン(チューブ型)で決まった。

結局カソードのバイパスに使っている銀タンタルを覗いて全て付け換えることになった。

尤もそれは結果であっていきなりこれらに決定したわけではなく、これらの他にマイカコンやスチコンも試してみた結果がこうなったのである。

部品を付け換えるとき、何もかも一遍にやるとどの個所のどの部品で、音がどう変わったかが解らなくなるから、一か所ずつ付け換えて音を確認しながらやっていった。

1 番目は最終段、スプラグのビタミンQからウェスタンの(弁当箱みたいなネジでシャーシーに取り付けて使う灰色の奴)オイルコンに代えたた部分だが、ここは 他に候補が無かったので楽だった。(本来此処の値はプリアンプの入力インピーダンスに合わせるようにするのがベストの筈だが、肝腎な入力インピーダンスが 解らないので0.5マイクロのままにしてある)
音に一層の張りが出て引き締まった。同じウェスタンでも随分レベルが違うものである。ウェスタンなら何でも優秀だと思うのは大変な間違いであることを実感した。
ここはこれで決まり。

2番目はイコライザーの低音部分の0.01マイクロ。ここも同じ様にスプラグからウェスタンの弁当箱に替えていた部分であるが、此処はウェスタンマイカコンベルマークペーパーオイルコンを試した。

マイカコンや弁当箱とでは比べ様も無い程ベルマークは優秀だった。
低音のボリウムがぐんと増し、ぴしっと締った。文句なくこれに決定。

3番目は高音部の0.002マイクロだが、小さい値のコンデンサーは良質の物を見付けるのに苦労する。今迄はずっとオレンジドロップの0.001をパらにして使っていたところである。ここはメーカー不詳のマイカコン、富士電機のスチコン、コーネル・ドゥビラーブラック・キャットスプラグビタミンQの0.001をパラにした0.002、テクトロニクスの0.001マイクロを試した。(余りにもテクトロニクスが魅力的だったので0.001も試してみることにした)面倒なことこの上なかった。

マイカコンは音全体に霞が掛ったようになるので没、富士のスチコンは悪くなかったがオレンジドロップと大差ないのでこれも没、テクトロニクスは残念だった。0.001は矢張り音が引っ込む。ビタミンQは音が汚くなって没。

結局、最もバランスが良く、音の綺麗なブラック・キャットが残ったが何か釈然としない。音が一番きれいなのは何と言ってもテクトロニクス。問題は容量が半分 しかない事によて音に厚みがところかも知れないから、ならばどちらかと云うと音が太いビタミンQとパラにして0.002としたらどうなるか、良い結果は想 像出来なかったがやってみた。

結果は目眩がするほど素晴らしかった。

どうしてそうなるのか解るわけがないが、容量が整い、相乗効果で双方の良い所だけが音になって出てきたようだ。抱き合わせるものによっては逆の結果もあるのかもしれないが、偶然とはいえ筆舌に尽くしがたい美音を奏でるようになった。
何でも諦めずにやってみるものだ。生じっか僕に電気の知識が無かった事が幸いした予期せぬ効用の発見である。

4番目はカップリングの0.1マイクロ。ここもビタミンQから弁当箱に替えた部分だ。ウェスタンのマイカコン0.16マイクロとテクトロニクスのハーメチックシール処理が施された0.1マイクロのオイルコンを試した。テクトロニクスが擢んでていた。当然付け換えた。

予想通り音は劇的に変化した。もう何の文句もなし。一体この臨場感はどう云う事なのか。何故こんなもの一つでこうも臨場感が出るのか、本当に気持ち悪いほどで、不思議と云う以外にない。ジャズなどは酒とたばこと咽返る人の臭いまでする。

レコードから臭いがする。嘘に決まっているがそう錯覚させる位生々しい音に変身した。
こうなると寧ろ疑問も出てくる。本当の音とは何なんだという事だ。

色々やったがどれがレコード本来の音なのか。
アンプはレコードに刻まれた音を細大漏らさず色付けをせずに鳴ってくれる事を僕は良しとしているのに、カートリッジで音が変わり、アンプで音が変わり、スピーカーで音が変わる。

そしてこんなちっこい部品一つで音が激変する。

もう冗談じゃねーわ。

が、兎も角結果良ければ全て良し。僕のアンプだから良いと思えばそれで良いのだと割り切って余計な疑問を持つのは止めることにした。

しかし、これで終わったわけではない。シャシーをコンパクトにし、その時序に配線材を換えよう。
これでまた音が変わる。もうヤケクソじゃ。とことん行っちまうしかもうなかろうし、これはこれでまた楽しみなのだ。

                                             つづく    2010.09.14

2014年9月17日水曜日

我が、蹉跌のオーディオファイル #08
イコライザー①

レコードの音溝を針で拾うと、当り前だがそれは次にプリアンプのイコライザー部か単独のイコライザーアンプか、何れにせよイコライザーに送り込まれる。

equalizerを直訳すると「同等にするもの、歪み、圧力などの平衡装置」と辞書にある。
釈迦に説法だと思うが、お浚いしてみると、レコードには再生時の音の振幅とは反対の音溝が刻まれている。

何故かというと大きな低音の振幅をそのままレコードに刻んでしまうと振幅が大き過ぎて針がちゃんとトレースせずに飛んでしまうからだ。

だからその振幅を小さく刻んで綺麗に針をトレースさせ、再生時にはその振幅を元に戻す、つまりイコライジングして正常な音に戻して我々はレコードを聴いてい る訳で、その信号を反転させて正常な音にする装置がイコライザー、云ってみればレコード再生の心臓部、ということになる。

従って仇やおろそかには出来ない。

「赤豚001」誰も御存じなかろうが今回はその中身に付いて。
こ のアンプは本来プリアンプとして造ったが現在フラットアンプ部は使っておらず、従ってハムやノイズを拾いやすいスイッチはMCとMMの切り替えスイッチだ けにしている。当初はプリメインアンプを造る予定だったのでシャーシーが馬鹿でかく、中は試行錯誤の名残で穴だらけなので近々組み直すことにしているが、 どうあれ日々改善(改悪もあったが)されており、常に成長過程にあるアンプだ。

回路はECC82を使ったCR型の基本回路を一切弄っていない。

電源は別電源とし、5AR4SIEMENS(シーメンス)で整流、オイルコン、(コーネル・ドゥビラー)チョーク・コイル、電解コンはMallory(マロリー)の普通の回路でB電源270Vを得ている。ヒーターはブリッジ整流、電解コン(マロリー)で12.6Vを得ている。


電源はアンプの全ての土台になる重要な部分だから、良い部品を使ってしっかり造り込んだ。電源トランスとチョークトランスは30年前新藤ラボで調達したものを使っている。どうあれ此処が土台だから品質の悪い物は避けた。

重要だと思うので敢えて申し上げるが、アンプで部品をケチるのは命取りだ。

コストパフォーマンスを考えるのは採算を取らねばならないメーカーが考える事で、我々マニアは予算の許す限り最大限良質の部品を使うべきだと思う。(値段が高いということではなく、良質の部品)

それは我々の体と同じ事で、健康で良質な臓器が揃っていて初めて体の健康が維持できるのと似ている。「心臓が丈夫だから肝臓は程々で良い」という事で良い訳 が無いのと同じで「カップリングに良いコンデンサーを使ったから、カソードのバイパスは程々で良い」などという事は無く、こういうケチりをすると音はその 程々のバイパスコンデンサーの質に全体が引き摺られる。

しかし、此処がまた肝腎なところで、自分の懐に見合った事をするというのも鉄則である。
矛盾するようだが、不思議な事に余り無理な事をすると良い音がしないのである。それは、良い音に聴こえないということかもしれないが、生活のバランスは音のバランスより大切だという事を僕は若干ながら体験している。

それと昔は良かったという古い名品(ウェスタン等)も流石に半世紀の経年でいかれている物が多く、しかも価格は高騰しているから、良くチェックして買う事が肝心だろう。 
 
  つづく  2010.09.12

2014年9月9日火曜日

我が、蹉跌のオーディオファイル #07
音の入り口④

此処が決まったら次はリード線。

現行品ではオーグラインとか銀線とか色々あってそれぞれ特徴があって良いが、これは0.06ミリの絹巻エナメル線を7本より合わせ仕上り外径0.3ミリのウェスタン・エレクトリック製リッツ線に止めを刺す。オーグラインも銀線も使ったが、論外の情報量である。何故だか僕に解るわけが無い。

買う時は騙されないように、本物のウェスタンのこうした原材料は極めて少なくなっている。あっても腐っていたり、酷い物が高く売られている事もあるので要注意。また、エナメルを剥がす時は薬品を使って剥がさないといけない。
刃物で削り取るのは至難の業。

アームの中の配線も上に同じ、他とは全く違うので手に入るならぜひ交換してみることをお勧めする。これが同じアームかと耳を疑うだろう。ただし、アームを壊さないように慎重を要する。
シェルもしっかりしたものを選ぶとよい。FRS5などは優秀だ。このクラスを選ぶとよいと思う。
人気のSMEだがアームと同様有名税を払わされるので覚悟して買うとよい。
ネットなんかに頻繁に出てくるようだが、本当に良い物は、僕の様な馬鹿ものでない限り手放さない。

ラストはフォノケーブル、フォノケーブルに限らず市場ではこのケーブルが極めて怪しい状況になっているようだ、高圧電線の様な直径3センチもあろうかという モンスターケーブル、10万20万は当り前、100万近い物まで存在する。買える人は買えば良いと思うが、僕は買えても買わない。造っている本人は買う気 になるんだろうか。

アンプ間のケーブルは古いノイマンのマイクケーブルがピカ一素晴らしい。
が、 これも買う時は要注意で同じノイマンのマイクケーブルでも時代が近くなるに従って品質が落ちている。現行品らしいがメーター6万円などと云うのもあるそう だ。それを買った人がいて、某所で古いノイマンと聴き比べ、溝に捨てたそうだ。麗々しくノイマンなどと銘打ってある様なものは避けた方がよいだろう。

この程度のケーブルなら何処にだってある。

兎 も角良いのは古いノイマンのマイクケーブル、特徴を言うと、色は薄い灰色、直径はUSBケーブルよりもふた回りほど細く被服の表面がごつごつしていて、 シールドが金属の板状になっている二芯シールド線である。同じマイクケーブルでもその次の時代の濃いグレーの、USBケーブルよりも一回り半ほど太い三芯 シールド線も悪くは無いが、比べると問題外だから買うときは気を付けるとよい。

フォノケーブルに限って言えばこれも上記と同じでウェスタンのリッツ線が良いが兎に角細いので細工も取り扱いもちょっと大変だ。

第一1メートルのケーブルを造るとして、4メートル必要だから、手に入るかどうか解らない。だが、やっている人はちゃんと居て、身悶えして喜んでいるそうだ。罪のない話である。
僕が今でも使っているフォノケーブルは新藤ラボの銀のシールド線だが、これも素晴らしい。
もっとも銀の音が嫌いだという人はけっこう居るから勿論そういう方にはお勧めしない。
ひと頑張りしてウェスタンのリッツ線かノイマンの古いシールド線を探すといいかもしれない。あるところには有るものだ。見付かりましたらお慰み、貴方は決して手放そうとなさらんことだろう。
もし高圧線をお持ちならたとえ100万でもきっと溝に捨てたくなるだろう。それ程このマイクケーブルとリッツ線は素晴らしい。

プレイヤーとアームの事は余り云いたくない。カートリッジ同様手放した僕が馬鹿だった。
センタースピンドルを改造し直径40センチ程のターンテーブルに乗せ換えた新藤ラボ扱いのガラード301オルトフォンRF297アーム、上記の話の物は本来このクラスで音のバランスが取れる筈だ。しかし、301も401も古いものだから確かなものかよく確認しながら買わないと後で嫌な思いをする事になる。飛び付かない事が肝腎だ。

エラックのプレイヤーも良いと聞くが僕は使った事が無いので責任を持って申し上げる事が出来ない。

不思議な事に良い音は古い製品に宿っていることが多い。軍事目的などで金に糸目を付けずに開発したからか、黎明期で皆が頑張ったからなのか、また当時の人達が真面目でケチな商売っ気など出さなかったからか、そこは解らないが事実は事実である。
しかし、開発されてから既に半世紀の時が経っている。いかなる良品も経年変化で相当いかれている物が多いからブランドに飛び付かない事だ。
特にウェスタン・エレクトリック製品は要注意、どんな上等の肉も腐っていたら食べられないし、食べないほうがよい筈だ。

ここで申し上げた事は全て、こうでなければならぬという事ではなく、僕のやったことが「こうだった」という経験談である。
自己責任を前提にすれば、世の中に「ねばならぬ」という事は無いと僕は思っている。

2010.08.24

2014年9月2日火曜日

我が、蹉跌のオーディオファイル #07
音の入り口③


残りは幾つも無い、アメリカ系を外すと後はデッカエラックである。

AKGなどもあって古いタイプを絶賛する人も多いが、針交換に苦労しそうなのでこれも外した。

滅茶苦茶に高値をふっかけられたり、音が変わったり、基本的に針の摩耗を心配しながら聴くのは嫌だから、二度と出ないビンテージ物には手を出さない事にして いる。もう少しジジイになってこっちの寿命の方が短いと予測できるようになればAKGも聴いてみようが。尤も明日の事は解らない。

翌日の誕生日を前に「明日でおいくつですか」と記者が質問すると「明日の事は解んないんだな」と山下画伯の名回答もあることだ。
だから今買うべきかもしれないが、もう少しこれは 待つことにした。10年後にも何処かに残っていればそれは縁と云うものだろう。

さて、デッカは専用アームを使ってこそ実力を発揮すると聴いている。
だとすると、MKシリーズで大凡5~6万、アームが2万~10万位する。
ターンテーブルもガラードが良いとなると一度手放したものを再び買うという愚かを犯さねばならず、これは敬遠したが、MKVを某所からお借りして暫く試聴する機会を得た。何に限らず英国の音は品がいい。このデッカを深追いしてみるか、此処は非常に迷ったところだったがガラードの件が癪なのでここは止まった。

最後に残ったのがエラックである。STS-455555等が良いようだ。
無論中古しかないので探したが余り出ていない。
交換針は新品純正で1~2万位で探せばまだある。
やっと見付けて455を僕は買った。

全体に音の輪郭が甘いように感じたが音質は非常によく、好きな音だった。
新藤バージョンには及ばないがレコードで音楽を聴く事に何の支障もない。
特にクラシック系が良いように思った。ドイツのこうした技術レベルの高さをまざまざと見せ付けられたような気がする。
アメリカや日本の音造りは概して品性に欠ける物が多い。イギリスやドイツの音造りには品性が宿っている。それを音の教養と言い換えてもよい。どうやってこれを造るのか僕などに解るわけがないが、そこが決定的に違う事は確かだ。

GARADOは自ら万能と謳っているが明らかにクラシックには向かず、ジャズやロック向きである。都はるみもきっと良いだろう。
だから、この二つがあれば通常の「良い」という以上の音が楽しめる事は確かだ。しかし僕は新藤バージョンを35年間聴いてきた。満足出来ないのである。

約まるところこういうことか、これ以上は探しても無駄かと思った。
ところがあった。古いエラックである。

エラックが日本に輸入される前の型に、STS-200、同210220222240300322330、モノのMST-2Aといった。50年代後半から60年代にかけてのカートリッジ群があるが、その中のSTS-200322、モノのMST-2Aが立て続けに手に入った。

ステレオの両者を比較すると僕は322の方が好みだった。針は0.5ミル、今回は入手しなかったが姉妹機の222には0.7ミルの針が付いているそうだ。クラシックには322がよいだろうとのアドバイスを入れて322にしたが、このカートリッジは素晴らしい。

低音から高音までのバランスは抜群、力強く且つ繊細、ハスキルのピアノをちゃんとハスキルのピアノで聴く事が出来る。新藤バージョン以来やっと満足のゆく カートリッジに巡り合った。厳密に言うとやはり新藤バージョンの方が音が綺麗かもしれないが、クラシックもジャズも両方見事に鳴らすカートリッジは、そう そうあるものではない。MMだから昇圧トランスもいらないので経済的でもあり、交換針はまだしっかり供給源があるというのも有難い。(しかし、針の出来に ばらつきがあるので要注意、またオリジナルの針はマグネットの磁力が減少している物やダンパーがいかれている物が多いとのことなのでこれも要注意、必ず一 回聴いてから入手することをお勧めする。)

更にモノのMST-2Aがまた素晴らしい。バリレラの出番はこれで完全になくなってしまった。
MMカートリッジにも恐るべき物があった。僕はずっと馬鹿にしていたが知らなかっただけだった。

 続く 2010.08.23 

2014年8月26日火曜日

我が、蹉跌のオーディオファイル #07
音の入り口 ②

さて、その最初、音の入り口、ピックアップカートリッジだが、基本中の基本はステレオレコードにはステレオカートリッジを、モノーラルレコードにはモノーラルカートリッジを使うことである。

ステレオをわざわざモノのカートリッジで聴く人は滅多に居まいが、モノのレコードはステレオカートリッジでもちゃんと音は出るからついつい今アームにくっ付 いているステレオカートリッジで掛けてしまい勝ちである。僕もそうだったから良く分かるが、いちいち面倒くせいのである。

今更めくようだが、しかしモノレコードはモノカートリッジで聴くべきで音の輝きが全然違う。それに実に艶めかしいものだから聴き出すとのめり込むかも知れない。

幸か不幸か僕は35年間新藤ラボでチューニングしたオルトフォン(ORTOFON)SPU-Aを使っていた。

このカートリッジが余りにも素晴らしかったのでこの35年間は他のカートリッジを聴く気にもならなかった。

それ以前はエンパイア(EMPIRE)1000ZEXEMT-TSD15SPU-AESPU-ASPU-GTE等を使いモノはオルトフォンCA―25Dを使っていたが出番は全くなくなった。(CA―25Dを聴かなかった事は基本的に間違っていた)

エンパイアは低域がだぶつく傾向が強いので僕にとっては論外、EMTは本来検盤用のカートリッジだからやや音が冷たいので向き不向きがあると思う。

僕はちょっと苦手だった。

オルトフォンは其の儘だと温かみはあるが音が太い。
つまり、双方とも極めて優秀なカートリッジである事は確かだが本来の用途の違いがはっきり出て好みが分かれるところだろう。

新藤ラボのチューニングによるSPU-Aはそうした問題を超越したところに位置しており、どちらが良いとか悪いとか云うレベルの音ではない。

無論音は好みだから嫌いだと云う人もいるだろうがまず負け惜しみだろう。
僕のオーディオ人生の唯一最大の間違いはこのカートリッジも手放したことだ。
だが、何かを得ようと思った時、何かを捨てなければならない時がある。
これを手放した後匹敵するカートリッジを僕は探した。
基本的には無駄な努力だということは解っていたが、それでも探した。
結果論だがその事で得た事がある。
僕の知っている限りのカートリッジはもう解っているから、今迄聴いた事のないカートリッジの中から僕は探した。

何時頃開発されたか、従来のMMやMCではない、FB型というのを発見した。
「マ グネットもコイルも使っておらず、針先が360度どの方向に対しても動きやすさが均一なので、針が感じた動きを歪ませることなく反応できる」と解説があ り、つまりレコードに刻まれた音を細大漏らさず再生すると加えて説明している。(ネットでGRADOを検索すると出てくる)

理想的である。僕は飛び付いた。これはひょっとするかもしれない。

中古でXTZVというのが出ていた。なんでもグラド(GRADO)の最高級品だという。
本当でも嘘でもこのメーカーの音の傾向は解るだろうと思って一先ずこれを買った。悪くなかった。
が、吃驚したことに突然ピストルでも撃ったようなパン!という強烈なノイズが入り、暫くしてまたパン! そして続けさまにパン!パン!パン!

一昔前、横浜のヨットハーバーの脇に1台の車が止まっていた。何やら小刻みに揺れておるので、我々阿呆な学生どもが地を這って近付き両脇からそっと覗くと、 ぬっと眼前に現れたのは一丁のピストルであった。一人の鼻先でその銃口はピタリと止まった。「うわあ・・・」という声を押し殺し、馬鹿どもは逃げた。

本能だったのか全員がジグザグに走った。乗っていたのは米軍の兵隊だった。

夜 烏の様な奴で眼ばかりが白く光っていたと、この状況の中でもしっかり観察していた奴が云った。いや野郎はピストルだけ此方に向けてやることはしっかりやっ ていた。と云う奴もいた。もう一回行ってみようということになり、通りを覗いてみたがもう車は無かった。早い奴だ、済んだらしい。一難去って大笑いだった が、このパンパンいう音に詰まらん話をつい思い出したくらいこの音には驚かされた。40数年も経ってから鼻先でパン!である。

レコードに傷は見当たらないし、塵にしては音が大きいし、他のレコードを掛けても同じようにパン!パン!パン!

何と、原因は静電気だった。

小規模とはいえこれは雷だからな。冗談じゃねえ。

張本さんじゃないが、アメリカの物はこんなもんなのか。

だが、この問題はS.E.R.D(Static electricity reducion device)というレコード用の静電気軽減シートで完璧に解決した。ちょっと高いがこのシートは素晴らしい。

レコードのノイズの原因は僕が云うまでもなく傷と塵だが、塵を吸い寄せる静電気は大敵で拭っても拭ってもこいつがしっかり塵を掻き集めてくれる大変な厄介者 だが、このシートはほぼ完璧にこの静電気を防止する。レコードの下に敷いて使うので演奏中ずっと機能し続けるから有難い。

レコードに帯電する静電気は各社の材質によってばらつきがあるが、大凡6KV程帯電しており、クリーニング時に拭いて摩擦すると酷い時には3倍、軽くて1.5倍程増加するがその 殆どを消去するから効果は絶大。(詳しくは(有)インタービジネスへ、宣伝料は頂いていないので嘘ではない)

このシートを使って目出度くピストル音は消え たが、耳が慣れてくるとやはり新藤バージョンのSPU-Aには遠く及ばないことが解った。

  (続く…)   2010.08.18 

2014年8月20日水曜日

我が、蹉跌のオーディオファイル #07
音の入り口①

アナログの音を、デジタルで処理し、またアナログに戻す。

つまりレコードの音をコンピューターで整え、コレクションとして整理し、再びレコードの音で聴こうという事で、最近けっこうやっている人がいるものと思われ,雑誌PCオーディオも発刊された。

最大の問題点は録音より再生にある(レコードの音で再生するということ)
一 昔前テープでやっていたことをコンピューターに置き代えただけのように思えるが、決定的に違うのはテープ再生はアナログ音なのに対しCDやPCの再生はデ ジタル音だと云う所にある事は、以前申し上げた。今回はこの事をちょっと脇に置いて録音するための音造りのことに触れたいと思う。

以前僕らはレコードを買うと傷を付けるといけないので真っ先にテープに録音し、レコードは仕舞いこみ、コレクションとして保管すると云うような事をやっていた。



アメリカ辺りには新譜が出ると必ず最初のロット10枚を買いこみ保管し、巨大な納屋一杯のコレクションを持っている人いが居ると聴いた事があった。

比べるなら、僕らがこつこつ買い貯めたレコードなどコレクションとも云えまいが、そうやってレコードを大切にしてきた事は確かだ。
テープへの録音はやがてCDへの録音に代り、今PCに移りつつある。



何に録音するにせよ、最初の段階で最も大切なのはカートリッジ(プレイヤーシステム)とイコライザー。

何でもそうだが最初が肝心でカートリッジが良くないと良い音で録音できるはずが無い。序ながらカートリッジとシェルを繋ぐリード線、アームの中を通してある 配線、アームからアンプまでのフォノケーブルの質の違いで音は随分変わる。これらはあまり目立たない存在だが実は大変な曲者である。

イコ ライザーアンプ(イコライザーに限らずアンプは全て)の最も大切な役割は、レコードの音溝に刻まれた音を細大漏らさずフラットに(低域や高域を持ち上げた りするのでなく)再生する所にある。色付けをしないという事が肝腎で、その意味ではプリアンプのトーンコントロールなどは本来必要ない機能だと云ってもよ い。


ハスキルのピアノをハスキルのピアノで聴くにはこれが大切で、妙に低域や高域だけ持ち上げたハスキルのピアノではちょっと頂けない。

尤 も何がフラットな音なのか、音溝に刻まれた正確な音とはどういう音なのかは録音した本人しか知りようはないから要するに曖昧である。結局ここは其々の楽器 やオーケストラの音をどれだけ知っているか(聴いているか)に頼るしかない。そうした耳が判別する事だから決まった法則があるわけではない。

クラシックでもジャズでも生演奏をしっかり聞いておく事が勝負だということになるだろう



2010.08.17 

2014年7月23日水曜日

我が、蹉跌のオーディオファイル #06
デジタル音

昨 今、デジタル(CD)は完全にアナログ(レコード)を凌駕した、と云うと何だかそれらしくて確かにそうだと思ってしまう。

市場はCDばっかりで、レコード 店などちょっと歩いたくらいではまず見付からない。ところが、これに「音」を付けて「デジタル音」は完全に「アナログ音」を凌駕した。と書き直してみる と、ちょっと待てよと首を傾げたくなる。

本当にそうか。
何を凌駕したのか。

無くなった筈のレコード店はあるところにはちゃんとあり、箆棒に高価でそれでも店は立派に成り立っている。ネットオークションでも1枚数十万というのも出品されていてポツポツ買い手が付いている。

何故なのか。

一つは演奏家の問題がある。ハスキルやバックハウス、フルトヴェングラー、クナッペルツプッシュといった人達はもういない。だからレコードに頼るしか彼らの演奏を聴き様が無いというのが大きな要素だろう。

しかし、彼らのレコードの大部分はCD化されているから特に問題は無い筈なのに、どっこいレコードが売れている。

ジャズを僕は余り聞かないが、ここでも同様の現象が起きており、たまに見かけるレコード店ではやはり信じられない正札が付いている。やけっぱちで付けた値段でもなさそうで、ちゃんと売れることを想定しての値付けと見た。

どういうことなのか。
当り前だが買う人がいるからだ。

では何故その人達は同じフルトヴェングラーの演奏を充分にこなれた価格のCDではなくて高い方のレコードを買おうとするのか。

写真界ではプロがデジタルを使い始めてから一気にデジタル化が加速し、ヨドバシもビックカメラもフィルム売り場は思い切り縮小されている。
最大の原因は撮影コストにある。フィルム時代に100万円だったコストが今や1万円に満たない。それで出来たポスターや雑誌の写真はデジタルとフィルムの見分けは、少なくとも素人には付かないから、特にコマーシャル系のカメラマンは挙ってデジタルを使うようになった。

プロカメラマンならずとも、お年寄りの最も健康的な趣味としての写真も、カメラさえ買ってしまえばランニングコスト0である。

それまではフィルムを買って、現像して、紙焼きして、36枚撮りネガが一本350円、現像600円、紙焼き360円として1,310円掛っていた。

年金暮らしのお年寄りがデジタルに向かったのは当然の軌跡ともいえる。
リコーのGRシリーズなどは素晴らしい描写をするから、ハッセル級の写真が楽しめる。しかもポケットに入れられるので、重いリュックや三脚からも解放される。いよいよお年寄り向きである。
写真界はだからほぼ世代交代が完了したと云ってよいだろう。

だが、本当の写真の世界というのはこうした現象を超越したところにあり、デジタルのギザの無い世界、光と化学反応で絵を造ってゆく本来の写真の世界はちゃんと生きているしこれからも生き続けるだろう。

その点は音の世界と似ているが、決定的に違うことは、最高の写真の世界は特殊化した小さな世界、専門分野としてしか残らないだろうが、音の世界はアナログ音の世界が一部復権し、新たな世界を創造するかもしれないという所にある。

今、レコードが売れている。

取り回しの便利さやノイズの無い音で一気に市場を席巻したデジタルの音に、限界が見えているのではないか。というより端から限界はあったのだ。要するに音質的に逆立ちしてもデジタル音はレコードの音に適わない。

のみならず我々が生身の生き物だと云う所に決定的な決め手があるのではないか。
ガラスを引っ掻く音を一日中聴かされたら、僕ならそれだけで相当衰弱し、三日続けられたら発狂するかもしれない。5日目にはきっと悶死するだろう。

何 かの映画で見たが刑事の取り調べの場面で、電気で一晩中目玉を照らし、耳の傍で喚き続けて(つまり騒音をたてて)眠らせないという一種の拷問を三日ほど続 けるとやってない人殺しも眠りたい一心で「やりました」と云ってしまう。刑事はにやりと笑って目出度く冤罪は成立する。実際問題、生理現象を逆なでするよ うな音は充分に拷問の役に立つだろう。

砒素という毒薬は即効性では青酸カリに及ばないが、少量ずつ与えるとじわじわと人体を衰弱させ数カ月、調整によっては数年がかりで衰弱死させることが出来るという陰険な毒物である。
近頃若者が矢鱈にキレやすく、些細な事で凶行に及ぶ犯罪が増えた。

直接的な原因は教育にあり、核家族制度が遠因であるように思えてならないが、それだけではなく、食べ物にも遠因があるに違いないと思う。

砒素と同じで知らない間に体の中で何かが変化してゆく、毎日三度口から入れて、体の中を通る間栄養として様々なものを吸収し毒も吸収し、滓になって肛門からにょろにょろ出てくる様々な食べ物が体に何の影響も与えない筈が無い。

音もそうだと僕は思っている。

耳 から入って脳味噌に至り、中で音として知覚させる空気の波動が脳に何らの影響も与えないとは思えない。食べ物にはちゃんと肛門という出口があるからまだい いが、音には出口が無く脳の中で音そのものは消滅しても放射能の様に消えない、記憶とは別の何かが残り、長い年月を経て沈殿しそれが脳に何らかの影響を与 えるのではないかと思えてならない。

イヤホーンでシャカシャカやっている若者の目が共通して虚ろなのを見るに付けそう思うのである。同時に可哀相だとも思う。

聴 いてみればわかる事だが、音源も含めてあれだけの汚い音を、しかも大音量で聴き続ければ誰の目だって虚ろになるし、知らずのうちに気持も荒れてくるだろ う。「もう少し静かに出来ないか」などと諭されようものなら、瞬時に頭を沸騰させ「うるせえ、糞ジジイ!殺したろうけえ!」などと凄いところへ飛躍する。 近頃は日教組のお陰で言葉も穢い。

生まれた時からデジタル時代の彼らは、CDやらDVDやらMDやら、ぎすぎすした音ばかり聴かされてきた。これでは赤ん坊の時から砒素を盛られているようなものだ。脳に何らかの毒物が沈殿しているのかもしれない。

必ずしもメーカーばかりの責任とは思わないが、音が長い時間を掛けて人体に(脳に)及ぼす影響をもうメーカーは考えても良いのではないか。そろそろ質の悪い音を若者の脳味噌に送り込むのは止めて、一昔前自分達が造っていた素晴らしい音を思い出してみてはどうだろう。
それは決して後戻りなどではなく、素晴らしい前進になると僕は思う。

2010.08.10 

2014年7月15日火曜日

我が、蹉跌のオーディオファイル #05
救世主、新藤ラボ 

小さな扉を見付けるのに苦労し、やっと探し当てて開けると狭い階段があって、登り切った所が新藤ラボだった。

愛想もこそもなく、変な目つきの小男が一人忙し なくパイプ咥えながらじっと僕を見ており他には誰も居なかった。視線が熱いのが異様だったが、ややあって彼は近づいてきて「聴いてみるかい」という。「何 だいらっしゃいませもねーでそれかい」と思ったがそこは耐え頷いて椅子に座った。

男の動作はどうにも忙しなかった。目をパチパチさせ、パイプをカチカチならしながら、ブルブル震える手で針を下すとまたじっと僕を見つめた。

音が鳴った。素晴らしかった。身を乗り出して僕は聴き、瞬時に男の存在を忘れていた。
気が付くと男の顔が今にも触れんばかりに僕の顔に近付いていた。「どうだい」
顔が引きつり、目も吊りあがって血走っていた。耳元に男の息を感じる。

「どうだ」と云われても気持ち悪さが先行した。乗り出していた身をぐっと反らせて改めて男を見ると、パイプを持つ手は相変わらずワナワナと震え、何が云いたいのかモゴモゴ口籠っている。このバイブレーターの様な男はどうにもいかんのでここは一端退散することにした。
帰りの車中、既にこのアンプを買う事は決めていたが、音と男の印象が不釣り合いで納得がゆかなかった。

RA1474はフォノ専用のイコライザーアンプ。124DWE-350Bプッシュプルのメインアンプで迫力満点、加えて繊細でもあるからVitavox CN-191を鳴らすのには理想的だろうとこの時半ば確信していた。

数日後再度新藤ラボを訪ねた時、男は居らず代わりに女の人がいたので先日の話をすると苦笑して言うに「かの人物は客」だと、二度びっくりである。
ややあって体中の全ての輪郭が猛烈にはっきりした人物が入ってきた。
その人が新藤さんだった。得心するとと同時に安心した。もう一度男の話が出て大笑い「そういう人なのだ」という。趣味も高じると命取りになり兼ねない。

新藤さんは好人物であった。嘘を言わず、云った事はやり、出来ない事は云わない人だった。この時の印象は35年たった今でも変わることは無い。
メーカーや販売店に有り勝ちな虚飾が一切なく、右だと云ったら左でも中間でもなく徹底して右だから解り易くもあった。

Mcintosh C22,MC275に関してはぼろ糞で、そもそも音全体に締りのないアンプだから、音のバランスを期待する方が間違っている。「あそう、買っちゃったの」・・・・

「お気の毒」・・・の一言でちょん。もう少しやさしい言葉はねーのかい。ねーんだなこれが。

RA1474124Dはキットで買うことになり週2度程此処に来て自分で組み立てることになった。キットと云っても部品は既に取り付けられており、配線だけすれば良 い状態だったから不器用な僕にも出来たのだが、半田鏝と机が用意され、それから一ヶ月半程通った間新藤さんとは随分色々な話をした。
常に明快な人だから解りやすく、物事に対する考え方は良く理解できて、音造りと云うのは要するに人柄だということがこの時良くわかった。

僕は写真をやるが、写真は撮り手の性格が出る。怖いほど出る。
撮った被写体の影に自分が映っているのである。
音造りもやはり造り手の音が鳴っているものだ。

日本人の美に対する感覚は欧米人とはちょっと違って、音でいえば水琴窟や鼓、といった単音に感じ入る様な繊細さを持っている。
反面グランドキャニオンの巨大な静けさややナイアガラの爆音の様なスケール感に欠けるところがある。

環境が違うから当り前のことだが、音楽にはこの二つの要素が必要で、新藤さんの音はそれに近かった。

最近では新藤アンプは寧ろ海外で注目されているというところが、何やらこんなところにも国情が反映されているようで悲しい。
65年の間に我々日本民族が失ったのは、こうした無形の心に拘わる感性ではなかったか。

Vitavox CN-191は見違えるような音で鳴り出した。

結構僕は満足していたが、新藤さんはVitavox CN-191の欠陥を二つばかり挙げ、これだけは直しておこうという事になった。

中高音用S-2ドライバーの裏蓋がプラスティックなので此処で音が死んでいる、従ってこれをステンの削り出しで造り直す。ネットワークがチャチでここでも音が死んでいるのでしっかりしたものに造り直す。という2点だった。

特性のコイルとオイルコンデンサーを使って造り直し、この2か所の改良で夢の様な音に変身した。

序にスピーカーの内部配線も良質の物に換えた。
これで僕は充分満足だった。有難うを僕は連発したが、まだあった。

これはスピーカーの欠陥ではなく、我家の普請の問題だった。
このスピーカーは部屋のコーナーに嵌めこむように造られていて、裏から見るとだから骨組みだけでがらんどうである。
従って壁が低音ホーンの一部を代用するように出来ているので、理想的な低音を出すには壁がしっかりしている必要がある。
我家は2×4の安普請だから、建てるときに気を使って壁に木の板を張り付けていたが充分ではないとのことで、裏蓋を付ける事になった。
これで低音はぐっと締りが付いて、音全体のバランスがぴったりとれた。
序にウーハーを外し、エッジに何やら塗り、乾くとこれで孫の代までエッジがへ垂れることは無いという。

Vitavox CN-191に施した改良は以上である。
おそらくこれでVitavox CN-191コーナーホーンの持つ可能性の殆ど全てを引き出すことに成功したと僕は思っている。
新藤さんは何も言わなかったが、おそらく同様に思っていることだろう。それ以降スピーカーについては発言が無い。

これをRA1474124Dで鳴らし、プレイヤーはGarrard 301のセンタスピンドルを改良してでかいターンテーブルを乗せ、アームにOrtofon RF297に厳選したSPU-Aをチューンアップした眼も眩むようなカートリッジ, という組み合わせが出来上がった。

それから35年僕はこのシステムで音楽を聴いた。
オーディオには幾つか頂点があるが、このシステムも一つの頂点だったと思っている。
当然、これ以上の音が存在することを僕は知っているが、果たして家庭に持ち込むに相応しいかどうか聴いてみて疑問を感じたことがあった。

ウェスタン15Aホーンである。

某所で聴いたがこれは凄かった。
ピアノがピアノよりピアノらしかった。もう桁違いで比較対象の問題ではなかった。
15A ホーンは御承知の通り劇場や映画館用であり、客席は20~50メートル以上離れたところにあり、且つ天井はビルの数階分の高さがあることを想定して、観客 に如何に心地よくしかも巨大なスケール感を味あわせるかという事がコンセプトだったろうから桁違いは寧ろ当然の性能と云ってよいが、それをこの時は距離約 4メートル程、天井高2.5メートル程の所で聴いたのだから、それは腰も抜けよう凄まじさだった。


この時ハスキルは正しく男だった。「げー」と僕はのけ反った。僕の大好きなハスキルが。
家に帰っていそいそと僕は同じレコードをVitavox CN-191で聴いた。

紛れもなくハスキル はエレガントな女流ピアニストだった。
ハスキルのモーツアルト、これ程無心で典雅な音楽は無い。Vitavox CN-191ならずともこれがちゃんと聴けるなら、スピーカーは何だっていい。
新藤ラボの音造りは要するにハスキルのピアノをハスキルのピアノで聴かせてくれるのである。




この人に出会わなかったら、僕は未だに迷い続けていただろう。

2010.08.05