2015年5月7日木曜日

我が、蹉跌のオーディオファイル #19
オーディオケーブル


伊勢神宮には日本を包み込むような巨大な空気が流れている。

どうやら神道の派が違うらしいが、出雲大社にも特別の空気が流れている。
一種の霊気とでもいうのか、締めつけられるような怪しげな空気である。裏手に回るとその霊気は急に強度を増す。
僕だけが勝手にそう感じているだけかもしれないが、明治神宮に行っても鎌倉八幡宮に行っても、普通の神社にこの空気は流れていない。
僅かにそれらしい空気が感じられるのは諏訪大社くらいのものだが、鳥肌が立つような出雲の空気とは違う。
祭神は大国主命、因幡の白ウサギで知られる大黒様と云えば親しみがあるだろう。この大黒様のイメージからは全く程遠い霊気が漂っているということは、きっと大黒様には僕らの知らない陰の一面がお有りなのだろう。

その出雲大社の神楽殿にまるでシンボルの様に巨大なしめ縄が掛っている。
このしめ縄も他の神社とは違って向って左側を上位として一般の神社のしめ縄とは逆に左側から縫い始める大黒締めという手法で締められている。
長さ13m、周囲8m、重量5トン、日本一の注連縄である。
写真で見たのでは実感が湧かないが、真下に立つとその巨大さに押し潰されそうな重圧感を感じる。
これ以上太い縄というのはおそらく世界でも余り例が無いだろう。また、それを必要とする施設が存在するとしても極めて稀であろう。

因みに世界1の太さを誇る瀬戸大橋のメインケーブルは直径1.06メートルである。
無論材質も違うし用途も違うが、ただの太さ比べならチャンチャラおかしくて比べる気にもならない。
兎も角凄い、巨大な二本の縄を捩ってある。



何かに似ていると思って暫く眺めていて思い出した。スピーカーケーブルである。
「○○さん特製の逸品で伝送ロスが有りませんぜ」という言葉をうっかり信じて「○○さんはお年でしかも御病気でもう作れやしません。私の持ってる最 後の一本お譲りしますわ」と、数年前薦められるままに22メートル程買い込んだ。「中ブルなんでメーター3、800円でようがす」と云ったって22メート ルなら83,600円だから安い買い物ではない。

「新品ならメーター1万円ですぜ。オーディオってのは金が掛るんでさあ」と追い打ちを掛けられて 引っ込みがつかなくなり、まあ、試してみるかとその気になったのが間違いだった。銅の単線を何やら白くて堅柔らかい樹脂とゴムを混ぜ合わせたようなもので 包み、それを更に青い布で巻いてある、一本の直径が1㎝それを2本より合わせて周囲6センチ、高圧線程の太さであり、青大将の様な風貌のそのスピーカー ケーブルの音は決して悪いものではなかったが、では代用品の家庭用ACケーブルとどれだけ違うのかという事になると俄かに怪しい音に聴こえてくる。

世の中には「こんなもんで音は変わらん」と云って、長々とACケーブルを引き廻している超マニアも居るのである。

この程度なら、ベルデンの橙と黒を捩ったメーター250円のケーブルと変わりない。

だが、多少はケーブルで音が変わる事を僕は知っていない訳ではない。生じっかなそういう実体験がこの時は災いしたのである。生兵法は怪我の基だ。解っていてもひっ掛る振り込め詐欺にやられた様な後味の悪さだけが残った。

それだけではない、この歳になってこの手の助平根性を出して見事に外した自分が情けなくもある。「良い、良い」と云われた分の錯覚を差っ引いて冷静に聴いてみると、次第にそれは極普通の音である事が解ってくる。

こうしたものでしかし音は確かに変わるのだが、だからといって音が良くなるばかりでない事を無論僕らは知っている。知っているけれども時として期待感が音を錯覚させるのである。何事も助平根性を出すと碌な事にならない。売った方も悪気があったわけではなくて、彼は本当に音が良いと信じていたのだから、この場合は買った方が悪いという事になるだろう。

こいつは今屋根裏でドグロを巻いている。そう云えば我が家の屋根裏には長い間青大将が住んでいた。幸い下界に降りて来ることは無かったからずっと居て頂いたが、年に一回脱皮した抜け殻を残すものの姿を見せた事はついになく、何を食べていたのか10年ほど住み続け、最近その抜け殻を見なくなった。

代りにドグロを巻くもう一匹の青大将もいつの間にか居なくなってくれるならそれに越した事は無い。だが引き取り手は居ないし、人様に薦める気にもならず、今でもどす黒い渦を巻いたまま屋根裏の片隅に陣取っている。

何年前からだろう。オーディオ業界は明らかに行き詰まりをみせ、PCオーディオという新しいジャンルが登場するまでの端境期、つまりつい昨日までという事になるが、オーディオケーブルで凌いでいたと思われる時期があった。

メーター数十万円というモンスターケーブルが今でも堂々と店頭に並んでいる。

それにプラスして、台頭してきたPCオーディオに悪乗りするように1メーター15万円前後のUSBケーブルまで出現し始めている。

素材に金やプラチナや中国産のレアメタルでも使っているのだろうか。
骨董屋に銀を売ってみると解る事だが、如何なる由緒の物であれ銀など今や2足3文の目方幾らでしか引き取らない。銅など値も付かない。要するに銀も銅も今では箆棒に安いのである。

スペックを見てみたら中身は無酸素銅に銀メッキだと云う。それがメーター15万円という事は、このケーブルの皮膜の内側に飛躍的に音質を向上させる特別の仕掛けが秘匿されているに違いない。

11年8月1日現在、金相場1g4.259円、銀相場1g98円、銅相場1g80銭(1kg800円)、である。
無酸素銅に金メッキして銀の網でシールドしたところで1メートルなら多寡が知れている。
然るに15万円のこ奴は無酸素銅に銀メッキである。当然この上に開発費と目に見えない製造コストが上乗せされる。おそらく問題はこれらの経費なのだろう。箆棒に金が掛ったと考えるのがこの際妥当で、それを商品化して採算をとるにはこの値付けが必要だったという事だろう。
だ が、開発に金が掛ったからという製造側の理由で単純にそれに見合った価格設定をしても、それが買い手側の市場で適正価格として受け入れられるかどうかとい う事は別問題である。にも拘らず、売れると見込んだからこそ市場に存在するわけだから、世のオーディオマニアは肝に銘じる必要があるだろう。舐められてい るのである。

どういう商品を世に出すかはメーカーの哲学とモラルと先見性の問題であり、どういう商品を買うかは買い手の知識と教養と懐の問題である。

この際我々は、量販店で売っているメーター500円のUSBケーブルと音を聴き比べてみるといいのではないだろうか。14万5千5百円分の音の差がなんぼのものかとっくり聴いてみると良いと思う。

そ れで納得して買うと云うなら端がとやかく言う筋合いではないが、はっきりしている事は15万円のUSBケーブルを使ったからといって16ビット 44.1kHzのデータが32ビット192KHzはおろか24ビット96KHzにだってそれが俄かに飛躍増大するような事は理論的にあり得ないし、それに 匹敵するほどの音質の向上をケーブル一本に期待すること自体間違っているのではないかと指摘だけはしておきたい。

15万円という価格はしかし、其れに匹敵するほどの音の向上を期待するのでなければ何のための出費か解らない。

またこういう事もある、無酸素銅つまり酸素の含有量が0.001~0.005%以内の、要するに純銅の事だが純銅であれば音が良いかというとそうとは限ら ず、1920年頃の精銅技術が未熟だった頃の、不純物を多く含む銅線の音が意外に良い結果を齎す事が少なからずあるのである。

古いオーディオマニアならこ の事はとっくに知っている。

少なくともアナログ世界に於いてはそうであった。然るに、それがデジタル世界に於いては左に有らず、無酸素銅であればデータが 増大すると云うのであれば、科学的根拠を示して頂きたいものだ。

でも音は理屈通りに行かないものだから、無酸素銅に銀メッキを施した件の15万円 のUSBケーブルに聴感上の良い結果を期待出来ないとは言い切れないから、きっとそれは素人ばかりでなく音のプロフェッショナルまでが腰を抜かすほど劇的 な音質向上をみる事が出来るのだろう。そして、そうであって初めて15万円のUSBケーブルは、多寡が紐一本とはいえその価格に正当性を持つことになる。

考えてみれば、15万円という価格は中堅アンプ1台分の価格である。

ケー ブルは飽くまでもケーブルであって、アンプの役割が期待できる訳がないと思うが、商品説明を読んで驚くのは、まるでそれがアンプの説明の様であることだ。 引用は避けるが、本当だろうかと首を捻りたくなる程飛躍的に音質が向上する優秀なケーブルであると紹介されている。尤もそうとでも言わねば価格の肯定が難 しかろうと察するが、それにしても見事な言い回しである。

僕らとしてはそれが宣伝文句である事を重々承知して読む事が肝腎だろう。100分の1に差し引いてもまだ云い過ぎなのが宣伝というものだ。
以 前ノイマンのビンテージケーブルを僕は誉めた事があるが、これとて音の差というのは微妙なもので、情報量が突然2倍・3倍に増大するような事は間違っても 無いから、アンプを変えた時程劇的に音が向上する訳ではないし、希少価値が付いてもせいぜいメーター2万円が限度である。これが15万円だったら当然僕は 買わなかった。

最近のノイマンのメーター6万円のケーブルを買った人が数日後にこのノイマンのビンテージケーブルと聴き比べ、怒って6万円のケーブルをドブに叩き込んだことがある。


買う側がしっかりしていれば、そしてちゃんと音を確認していればこういう目に会う事は無かっただろう。

ケーブルの最も重要な役割は、アンプからアンプへ、アンプからスピーカーへ、そして特に重要なのはマイクからアンプへ信号を送る時「ロスさせない」事と「ノイズを拾わない」事である。
理想のケーブルとはだから伝送ロスゼロというものであって、つまりマイナスから如何にしてゼロに近づけるかが問われるのであって、ゼロを通り越してプラスへ持ってゆくというような魔術は譬え1000万円出したって期待出来るものではない。

間違ってもそのケーブルで繋ぎ合せる機器類以上の音質向上を期待する事は出来ないし、出来る筈も無い。

ケーブルは一種の抵抗だから短ければ短いほど良く、理想を言うなら無いのが一番良いという事になる。

そこを間違えてモンスターケーブルを使えば音が良くなると錯覚してしまうと、無い方がよい物に高額を支払って、それがどういう音であるか解った人は僕の様に後で地団駄を踏むことになる。
ケーブルの商品説明で大切な事は、だから如何なる性能のアンプ類を使っての試聴結果であるか、それらのアンプをこのケーブルで繋いだ時、どれ程使った機器類の性能をロスさせなかったかを言うべきなのである。

ケーブルを使う以上伝送ロスゼロということはあり得ない。まして、間違ってもケーブルが単独で音を造り出すような事はないし、繋いだ機器の持つ性能以上に良質な音にはならないのである。
そ うした事実を前提にして改めて各ケーブルの解説を読んでみるとまた違った理解が生まれてくるだろう。無論理論よりも耳で確かめるのが一番だが、ケーブルな どに執着する前に、この手の物に斯くなる出費をしてまで聴くオーディオというのは何なのか、もう一度考えてみる事もまた肝腎であると思う。

だが逆に、何だっていい兎も角有名で高い物を買って自慢したいんだ、という言には何だかそれなりの説得力があって納得できるものがある。

無論それは音とは別の世界の話である。

ある方の葬式で出雲大社の宮司による祝詞を聴いた時、音の機微が少し解ったような気がした事がある。それを言葉に表すのは至難であるが、音とは深遠なものであり、多寡がオーディオの音と云えども、ケーブル1本でどうなるものでない事だけははっきりしている。

モンスターケーブルの世界は超常現象の世界であり、最早オカルトの世界と知った方が良い。

近寄らぬのが一番である。

2011.08.15