2015年5月19日火曜日

我が、蹉跌のオーディオファイル #26
続 レコードの塵

この一年間、毎日のようにせっせとレコードを磨いている。

いい年をして馬鹿みたいであるが、ノイズの無い音で一度録音してしまえば、本当の老後を楽しく過ごせそうな気がしてやっているのである。

尤も、本当の老後というのを何歳くらいから考えればよいのかよく解らない。長寿の伯父が居て、犬の散歩には出るし、塵も自分で捨てにゆく、矍鑠として97才である。

先日数年ぶりに訪問した折、確かに数年前より幾らか老けた感じが否めず、まあ、ここまでくれば、確かに老人と呼べるに相応しい風情を漂わせていたから、この辺りを本当の老後と考えてよさそうに思う。

無論そこまで生きていればの話で、そこらがどうなるかは解らないけれども、仮に生きたとして、さて、その歳でレコードを満足に掛けられるだろうかと改めて考えながら、この日一日叔父を観察して、レコードを掛けるというたったそれだけの事ながら、例えばレコードの端っこに正確に針を降ろすという手作業はかなり厳しくなるだろう事が判明した。

レコードに針を落とす時、手元が震えて狂い、変なところに針を落としてしまってピックアップを壊してしまう、といったミス、そしてそれに類するミスを連発する事だろうと見てとった。

だから、今やっているPCへのレコードの収録は間違っていないだろうと、一人納得した次第である。

PCならクリック個所を間違えたってそれでPCが壊れるような事はないし、レコードの掛け替えに一々席を立つ、という行動そのものが無くなることになる。この立ったり座ったりという動作が、老人にとってはけっこう危険を伴うという事もこの日改めてよく解った。

伯父は、娘が注意するのを聴かずに足を組んで腰掛けていたが、手洗いに立った瞬間にころりとひっくり返った。昔から咄嗟の判断の良い人だったから上手く壁にも凭れて事なきを得たが、これで足腰を骨折でもしようものならその日から寝たきりを余儀なくされていたかもしれない。足を組んでいると血の循環が悪くなって、超高齢者にはこういう事が儘起り得るのだそうだ。

「それ、ごらんなさい」と娘に叱られ、照れ臭そうにちらりと僕の顔を見たが、兎も角、転ぶという事は老人にとって最も危険な事だから、レコードの掛け替えなど、どうという事のない動作にも確実に老人への危険は潜んでいるし、その動作の頻度が増す事はイコール危険に遭遇する頻度が増す事だから、やはりかなりしんどい事だと目前の現実を見て再確認することにもなった。

だから、元気でいるうちにせっせとレコードを磨いて塵を取り除き、ノイズの無いよい音で収録しようという試みはやはり間違っていないと、この日二度も思いを新たにした次第で、いよいよ塵取り作業に熱も入ろうというものである。

小さな棚一つ分のレコードをこの一年で磨き上げて収録してきたが、それにしても、この作業はつまらない。

同じ作業を何回も繰り返す、そしてこの作業は負からゼロへ持ってゆくのが目的だから、作業そのものには何の生産性も無いというところでバカバカしさが倍増する。

「ああ、野麦峠」のような、当為に近い労働では無論なくて、自分から進んでやっている事ながら、乙女たちの哀歌も何処からか聴こえてきそうな切なさも伴う、単純で面白みの欠片もない作業である。

だが、レコードの収録にこの作業は欠かせない。
面倒がって少々のノイズならと其の儘録音してしまうと、必ず後悔する事になる。

録音ソフトなどに付属しているノイズリダクション機能は、メーカーが何と言おうと、確実に音質が劣化するから、基本的に使わない方が良い。(素人の手に負えるものではないとも云っておこう)少なくとも僕はどんなに条件の悪いレコードにもこの機能は使わないようにしている。旨く行ったと自信たっぷりな録音も、暫く時間をおいて聴き直してみると、随分と音がもやもやしている事に気づいて、結局レコードの塵取りからやり直すことになる。

一にも二にも、収録前にレコードの塵を取り除く、これにしかず、である。

だがこの作業、つまらないばかりか、思ったほどうまく行かない事が多い。

例えば、レイカのクリーナーでクリーニングする時、しつこい汚れにはクリーニング液をたっぷり使って強く拭き取る。ビスコ33という拭き取り様の紙は極めて優秀だから、クリーニング液で盤面が湿ってさえいればレコード盤に傷が付く事はまず無いので、ここはしっかり拭き取る。

そしてクリーニング後は充分に乾燥させてから針を降ろさないと、レコード盤、ピックアップ共に傷つける可能性大である。何でも計算上はあの小さい針先に1トン近い圧力が掛かっているというから、水分が残ったレコードに針を降ろす事は禁物だそうだ。おまけに盤面に残った水泡が新たなノイズの発生源になることもある。

だから、僕はクリーニング後必ず一晩乾かすことにしているが、それでも針を降ろした途端にパチパチと細かいノイズが出る事が頻繁にあって、こういう時は空で一回針を通すと2度目からノイズは急速に減少し、3回目には殆どのノイズが消え去るのだが、どうにも釈然としない。

この細かいノイズは何なのか。物よってはクリーニングして5回も針を通さねばきちんとノイズが消えないものもある。これでは針が持たないから、クリーニング用として安い針でやるのだが、問い合わせてみると通常は一発で決まるのだそうで、そうなら此方のやり方が間違っているか、今迄のレコードの保管状態が余程悪かったとしか考えられない。

中古レコードなら前所有者が如何なるクリーニングをしていたか、或いはしていなかったか、履歴が解らないから、一寸見綺麗でも信用は出来ない。

ニュースが一読しただけでは真実が見えないのと同様、中古レコードも外観だけでは履歴が解らない。以前某君の使ったクリーナーの残滓がこびり付いている事もある。

これがなかなかな曲者で、ただのゴミより余程質が悪く、取り除くのにけっこう苦労する。

自分のレコードも50年以上前に買ったレコードの手入れが如何なるものであったか、概略くらいは覚えているが、そもそも碌なクリーナーが無かった時代の事だから音溝にどういうものが詰っていても不思議はないのである。

問題は履歴のはっきりしているレコードに付いてである。きちんとクリーニングし、保管していたものに付いては自負もあるから、クリーニング後にノイズに悩まされるというのは納得がゆかないのである。

汚れがひどいレコードにはたっぷりとクリーニング液をかけ、新しいビスコ33でしっかり拭き取ると今も云ったが、それで納得行かなければ2度続けてクリーニングするようにしている。こびり付いていた黴なども目視の限り、全く見られないところまでクリーニングする。

にも拘わらず、数回針を通さねばノイズが消えないレコードがある。肝腎な事だが、しかし、4回か5回空針を通せば塵に依るノイズはほぼ完全に消えるのである。

中に諦めてしまったレコードがあって、10日ほど放ったらかして、試に掛けてみたらノイズが消えていたと云うのもあって、それも一枚や二枚ではないからいよいよ訳が解らない。

やけっぱちになって放り出して置くとノイズが消えているなどという事は、理論的にも納得がゆかないが、そうは云っても現実だから受け入れるしかない。まあ、こういう方法もあるのだと近頃はクリーニング法の一つに勘定している次第。再度云うがこれでノイズは消える。そして、一発で決まるレコードも当然ある。この違いは盤面を一見しただけでは見分けがつかない。

気紛れな小娘みたいで扱い難いことこの上ない。まあ、小娘ならそれも一興、面白がってもいられるが、レコードの塵取りなどという余計な作業はスムースに行ってくれないと、ただ不快なだけである。

僕のプレイヤーにはアームが2本付いているから、先に一本走らせておいて、追っかけ本番の針を降ろすように、だから通常していて、これで大概のレコードはOKである。(先行するカートリッジだが、ものに依って振動が本番のカートリッジにノイズとして伝わる事があるので、要注意)

無論釈然としないが、怒ってどうなるものでもないから習慣づけているものの、いったい何が悪くてこういう事になるのか解らない。

二本もアームを走らせねばノイズが消えないなどという事が正常である筈が無いよね。

前回紹介した    でもこの状況は変わらないから、きっと僕のやり方が悪いのだろうと思うが、どうやってもこういうレコードが頻繁に出てくる。

プレイヤーの置いてある場所に、夕方になると太陽の斜光線が射し込み、季節と時間で微妙にその角度を変える。斜光線は普段の風景とはちょっと趣が違って、今迄気づかなかった、思わぬ風景に出合うチャンスをくれる事がままあるが、僕のプレイヤーも射し込む斜光線の角度によってカートリッジに当たった光がレコード盤に反射して、赤みを帯びて実に綺麗に映る事がある。

そして、角度によってレコード盤の音溝が金色にきらきら輝く事もあって、カートリッジの赤とレコード盤の黒と音溝の金のコントラストがなかなかな風情を醸し出す瞬間がある。

これが実に美しい。

何でも物には見方があるものだと感心していて、でも、ちょっと気になって回転を止めてみて驚いた。音溝の中にナノ単位の細かい塵が天の川の様に無数に光っているのである。

それでいてノイズは出ていない。

この塵は電灯の光では殆ど見えないから、完璧にクリーニングされているものと僕らは錯覚するが、微小な塵は、どうやらそう簡単に取り切れるものではないらしい。

つまり、同じ塵でもノイズの発生源になるには一定の大きさと硬さが必要で、それ以下の塵ではノイズは発生しないか、しても聴こえない程の微小なノイズであるのかもしれない。塵は塵でもチンピラの塵まで気にする必要は無いということなのだろう。しかし、それでも病的に取り除きたいというなら、3~4回立て続けにクリーニングすれば取れてしまうのかもしれない。ここまでやれば完璧なんだろうけれど、極めて目視の難しい微小な塵はちょっとやそっとでは取り除けないものだということが、偶然ながら判明したのである。

兎も角、しつこく取れないノイズの発生源がやはり塵によるものらしいことがこれで分かった。

では何故一度針を通すとノイズが減少するのか、今度はそれが気になる。そして、3回4回針を通す度にノイズが減少してゆくというのが、どうにも分かり難い。

もしかしたら、クリーニング直後はこのナノクラスの塵がクリーニング液の水分で何個かくっ付いて、比較的大きな塵となって音溝に残って、それがノイズの発生源になって、だから、一度針を通すと、くっ付いていたナノクラスの塵を針が砕いて、この時塵は文字通り元のナノクラスの姿に戻り、ノイズは発生しなくなる。しつこく固まったままでいた塵も、度重なる針の来襲に耐えかね、遂に砕け散って、3回4回針を通す度にノイズは減少してゆき、遂にはノイズがほぼ完全に消え去る。
こいうメカニズムなのかもしれない。

こういう事があった。

クリーニング前も比較的きれいで、クリーニングの必要はないと思われた一枚。

それでもクリーニングして、外観は塵も黴も全く見なかったので安心して音を出したら、プツプツと小さなノイズが切れ目なく続き、そればかりか、レコード盤が擦り減って針との摩擦音が出た時の様なシュルシュルといったノイズが所々に発生する。外観とは裏腹に重症とみられた。もしレコードが擦り減っているのであればクリーニングで直る事はないから諦めるしかないが、そうとも思えなかったので、この時はプレイヤーを45回転にして2本のアームを同時に使って安針を通してみたところ、パチパチノイズは殆ど消えた。

だが、まだシュルシュルノイズが消えない。針先を見たら2本とも極小の塵が団子状にこびり付いたので納得し、同じ事を再度繰り返した。つまり、計4回空針を通した事になる。

本番の時も一本先行させるから、要は6回目の針が目出度く本番となるわけで、全くうんざりするが、これでシュルシュルノイズは消えたのである。

再度云うが、目視できるような大きな傷さえなければ、大概のレコードは斯くして甦るから、ちょっとやそっとのことで諦めず、特に、古い貴重な演奏のレコードを捨てる事は、宝を捨てるのに等しいから、この針クリーニングを試してみては如何だろう。

見えない塵、これが大敵なのである。

ならば、クリーニング液など使わずに最初から針クリーニングすれば良さそうなものだが、決してそうではなく、空針を通しても大きなごみは取り除けないからこれはクリーニング液でしっかり拭き取るしかないし、またしつこくこびり付いた塵の接着力を弱める効果は大だし、レコード盤を傷付けないで済むから、必須の事と思ってよいだろう。

ならばこんなことをせずに、最初からクリーニング液を使って3回4回クリーニングしても良いのかもしれないが、確実に音溝の全てをなぞってゆく針クリーニングも絶大な効力を発揮することを知っておいても損にはならないだろう。

しかし、それだけでは、10日ほどほったらかした後にノイズが消えるのがどうしてなのか、疑念は晴れない。だが、まあ、ここらはどうでもよい事だ。僕に限ってはノイズが消えさえすればよいし、発生しても要は聴こえなければ良いのである。

其処の所を一発で決めるほどの、つまり強力なクリーナーでは、今度はレコード盤を痛めるのかもしれない。

尤も、レイカや    は純水が基本らしいからそういう事はないのだろうが、どうあれ使用者としては、やはり一発で決まってくれるに越したことはないから、何とかならんものかと思う事しきりである。

物にもよろうが、いかれてしまったものを元に戻すのは、新しいものを造るより難しい事がある。
レコードにこびり付いた塵を取るという事も、そうした部類の事柄に属するのかもしれず、厄介な事この上ないが、上手く塵が取れて新品同様の素晴らしい音を聴かせてくれると少々の苦労など何の苦にもならないものだ。

だが繰り返そう、一発で決まって欲しい。
そうでないと時間がもったいない。

もう、後ろから勘定したほうが速いから、せっかちにもなろうというものである。

2012.06.05