アナログ時代のオーディオ機器の価格感覚を大きく上回る、DACやインターフェイス、オーディオ用サーバー、DDコンバーター等が市場を賑わせつつあり、40万、50万は当り前、中には300万円近いものが涼しい顔で紹介されている。
こういう事で良いのか疑問を感じるが、マニアの所有欲は測り知れず、価格が高くなければ所有欲が湧かぬという人もいるわけだが、また高額の販売手数料を手に 入れられるので販売する意欲が湧き、「高額だから音が良い」などという販売店の言葉に新たな所有欲に火をつけられるのだろうか。
今は、オーディオ 機器の価格と音質は必ずしも比例していない。その昔オーディオ関係者がまだ純粋だった頃、オーディオ機器は正直にコストが音質を左右した。当然その事が価 格に反映していたわけで、それを逆手に取った悪質な人々のお陰で価格ばっかり高くて音質の悪い機器が出回るようになった。
もう少し正直な価格のものも出てこないと、折角のPCオーディオがアナログ時代に輪を掛けて変な方向に行ってしまうような気がしてならない。こうした高価格を初期の段階で常識化してしまおうとでもいうのだろうか。それなら洗脳というべきか、ただPCオーディオ機器は進歩が早い、すなわち旬が短い、大枚をはたいても即、陳腐化する可能性が大で、半額で倍の能力・性能の新たなPCオーディオ機が手に入るかもしれない。
携帯電話やパソコンが良い例である。
オーデオ製品は今でも、と云うか不況の今だからこそ、高値で一発勝負という魂胆が見え透いているように思えてならない。本国価格の2倍以上のプライス-タグが付いているケースも多い。インターネツトの時代だ、よく国際価格を調べてお人よしのユーザーにならぬよう、音の良いPCオーディオ機を求めたいものだ。
携帯電話やパソコンが良い例である。
オーデオ製品は今でも、と云うか不況の今だからこそ、高値で一発勝負という魂胆が見え透いているように思えてならない。本国価格の2倍以上のプライス-タグが付いているケースも多い。インターネツトの時代だ、よく国際価格を調べてお人よしのユーザーにならぬよう、音の良いPCオーディオ機を求めたいものだ。
オーディオ界には悪しき前例がある。
オーディオが一般化し始めた昭和30年代の後半、黎明期と云ってもよかったこの時期に、オーディオ評論家などという不思議な「お仲間内」が現れ、メーカーや輸入商社と吊るんで味噌と糞ごちゃ混ぜにして、口々に市場を煽って価格を高騰させた経緯ととても似ている様な気がする。
あの頃は僕ら一般の消費者は音の何たるかをよく知らなかったから、良い音を求める純粋な気持ちをすっかり弄ばれてしまったが、あれから半世紀、僕らマニアはもう随分音の善し悪しと機器の質との関係が解ってきた筈で、同じ轍を踏むことなく、ひたすら自分の耳を信じて、価格や「プロの音」などという幻想に惑わされないように気を付けたいものだ。
今、 PCオーディオはまさに、その黎明期にあたる、今まで活躍されていた評論家の先生方々も引退やお亡くなりになり、デジタルの新風に乗った新しい評論家の方 がご活躍しているといえば結構な話だが、第2の煽動屋の暗躍では頂けない。またDAコンバーターやオペアンプのメーカー名だけの知識で、実験回路での評価 もしたことの無い先生方が良し悪しを述べ、まさに先進、イカ銀的な知識だけでの評価をされてはユーザーもメーカーもたまったものではない。
デジタルは陳腐化も早い、持っている先端知識を語るのではなく、インターネットで得た情報を語るだけの先生自身も能力があると錯覚するのであろう。
評論家の言や雑誌の記事の「デジタルケーブルやPC上のソフトで音が変わる」などという言葉を真に受けて大枚をはたくのでは如何にも詰まらない。オーディオとはそういうものではない。
特 に僕らレコードを聴きこんできた者から云わせて頂くなら、本当にモノラルのレコード聴くと心休まる、ただ聴く時の手間が面倒だから、それを解消したいため にPCオーデイを利用したいだけであって、PCで音を弄って遊びたいわけではないので、要するに原音のまま聞きたいのだ。レコードの音溝にある情報を全て フラットに引き出して聴きたいだけだ。高級で高速、高額なDSPやPCのソフトで原音を捏ね繰り回したのでは先人に失礼だし、原音と違うとユーザーが気が ついた時点でアシストした評論家が責任をとるとは思えない。
誌面上の「プロの音」というのは云ってみれば殺し文句である。レコードやCDを造る過程の、或いは放送局などのスタジオで取り扱われる音を「プロの音」と云うのだろうか。オーディオに限らず僕ら素人はこの「プロの・・・」という言葉に弱い。本職さんの腕前が(音が)しかしそう簡単に手に入るなら苦労は無いのだ。
今、 PCオーディオはまさに、その黎明期にあたる、今まで活躍されていた評論家の先生方々も引退やお亡くなりになり、デジタルの新風に乗った新しい評論家の方 がご活躍しているといえば結構な話だが、第2の煽動屋の暗躍では頂けない。またDAコンバーターやオペアンプのメーカー名だけの知識で、実験回路での評価 もしたことの無い先生方が良し悪しを述べ、まさに先進、イカ銀的な知識だけでの評価をされてはユーザーもメーカーもたまったものではない。
デジタルは陳腐化も早い、持っている先端知識を語るのではなく、インターネットで得た情報を語るだけの先生自身も能力があると錯覚するのであろう。
評論家の言や雑誌の記事の「デジタルケーブルやPC上のソフトで音が変わる」などという言葉を真に受けて大枚をはたくのでは如何にも詰まらない。オーディオとはそういうものではない。
特 に僕らレコードを聴きこんできた者から云わせて頂くなら、本当にモノラルのレコード聴くと心休まる、ただ聴く時の手間が面倒だから、それを解消したいため にPCオーデイを利用したいだけであって、PCで音を弄って遊びたいわけではないので、要するに原音のまま聞きたいのだ。レコードの音溝にある情報を全て フラットに引き出して聴きたいだけだ。高級で高速、高額なDSPやPCのソフトで原音を捏ね繰り回したのでは先人に失礼だし、原音と違うとユーザーが気が ついた時点でアシストした評論家が責任をとるとは思えない。
誌面上の「プロの音」というのは云ってみれば殺し文句である。レコードやCDを造る過程の、或いは放送局などのスタジオで取り扱われる音を「プロの音」と云うのだろうか。オーディオに限らず僕ら素人はこの「プロの・・・」という言葉に弱い。本職さんの腕前が(音が)しかしそう簡単に手に入るなら苦労は無いのだ。
他方、写真の世界では猛烈なコンピューター技術の向上で、プロの撮影テクニックを小さなデジタルカメラの中に凝縮して詰め込み、プロテクニックの撮影がシャッターを押すだけでいとも簡単に素人の手で為されるようになり、メー
カーは挙って「プロのテクニックが貴方の手の中に」などと腋の下を擽るが、ではそれで素人の写真がプロの写真と同レベルに向上したのかと云えばそんな事が
ある筈もなく、依然として素人の写真は素人の写真の儘だし、プロの写真は厳然としてプロの写真であって、その差は歴然としている。
せいぜい同レベルに向上したのはピントと露出の失敗がなくなった事だけだ、一昔前、露出の失敗をしない事がプロの条件の一つだった。・・・・・・・昭和30年代頃までの話である。
いざ撮ってみると宣伝文句の「プロの腕前」とは程遠い現実に、自分が幻想を抱いていた事を思い知る。
こうしたデジタル技術の革新が写真界に齎した恩恵は、プロアマ問わず写真家のランニングコストを著しく軽減したということに尽きるのかもしれない。
先ほど述べたDSPやソフトはことカメラの世界ではCCDの素子感度や特性のばらつきなどを補正をしている、3原色の光のエネルギーの差と人間が感じる差な どをソフトで補正している。何万人が何年も社運を掛けアナログを追い越せとの研究成果が今日のデジタルカメラだ、でもそれは使い勝手が良くなったと云うだ けの事で、素人の腕前がいきなりプロ級に向上するわけでは断じてない。
先ほど述べたDSPやソフトはことカメラの世界ではCCDの素子感度や特性のばらつきなどを補正をしている、3原色の光のエネルギーの差と人間が感じる差な どをソフトで補正している。何万人が何年も社運を掛けアナログを追い越せとの研究成果が今日のデジタルカメラだ、でもそれは使い勝手が良くなったと云うだ けの事で、素人の腕前がいきなりプロ級に向上するわけでは断じてない。
テレビに依る日常の疑似体験で、僕らは他人の50年の修業の成果を自分が1日で成就したような錯覚に陥るが、冷静に考えれば修行は訓練の積み重ねだけではなく、常軌を逸した体験の積み重ねであって、茶の間に寝転びながら出来るものではない事を当然僕らは解っているはずなのに、錯覚してしまう。
オーディオの世界でもプロ機器はプロが使ってこそ生きるので、使用する数々の機器の性能上のバランスが取れている事も、プロの現場では重要な要素である事を忘れてはならない。
プロが使う機器を一台だけ家庭に持ち込んで、確かに悪くはならないと思うが音が良くなったなどと云ってもその程度ではたかが知れているので、やるなら全てを録音スタジオ仕様の機器にしなければ釣り合いが取れないし、音は一番程度の悪い機器のレベルで鳴ってしまう事をもう僕らは知っているはずである。第一、スタジオの音を家庭に持ち込んでもそれが良い音で鳴る保証は無い。
要するに用途が違うし取り扱いも違うので、くれぐれも「プロの音」などというレベルの低い宣伝文句に、惑わされないようにしたいものだ。
広告ではなく記事の中でそれを言う人もいるから要注意、それが評論家である。
この先PCオーディオはオーディオの楽しみが何倍にも広がり、僕などの想像を遥かに超えて広がってゆくだろう。だがもう一つ忘れてならない事は、人間の生理現象に最も相応しい音はアナログの音だと云う事だ。
家庭で聴くアナログ音の原点がレコードの再生音であった事は歴史的に見て異論は無いと思う。
SP時代からCDが出現するまでの長い間レコードは家庭で僕らが享受する音楽再生の中心的存在であったから、皆レコードの再生音を如何にして良くするかに腐心し、マニアなどは血の滲むような馬鹿げた努力も惜しまなかった。
中にはオーディオ専用の建物に4億円掛けたと云う兵もいるが、こうした僕らには何の参考にもならない超マニアから、ポータブルプレイヤーで聴く現実派まで、レコード音楽は最も身近にある娯楽であり、人に依っては精神的な糧になるものでもあった。
そしてCDの出現で衰退した筈のレコードが近頃また見直されてきた。何故かを問うまでも無く、レコードの音(アナログの音)が最も生き物の生理に合致した音だから無意識にそれを求めるのだろう。
CDの音には毛を逆立てる我が家の猫もレコードの音で昼寝の目を覚ます事は無い、これは理屈ではないのだ。
PCオーディオもだから「レコードを如何にして良い音で、しかも楽チンに聴くかという事から僕はスタートした」と以前申し上げた。
僕がやっている事は結局レコード再生にあって、最高の音質をデジタル化して音楽を整理収録し、デジタルからアナログ再生する、すなわちアナログそのものだと云える。
PCオーディオはアナログをデジタル化し、更にそのデジタルをアナログ再生するステップから関係してきて、再生段階でDACと密接に係わってくる。
従って大切な事は何と言っても、カートリッジ廻り、カートリッジ、アーム、レコードプレイヤー、ステップアップトランス、イコライザー、がちがちのアナログ世界は依然として変りないし、これが無くては、僕のPCオーディオは始まらないのである。
いや、PCオーディオなどと云うとPCが中心の様な印象だが、アナログの中にPCを参加させただけの事だと云っても良く、デジタルデーターの倉庫発送業務をすることに他ならない、尤もそれだけのことでオーディオの世界が、がらりと変わってしまうほどのインパクトがあるから、PCの威力が絶大である事は確かだが。
各オーディオ誌でデジタル用ケーブルで音が変わると言い、高額なUSB、LAN、光ケーブルがオーディオ用としてオーディオ誌などで音が良いと紹介されている。
このことはこの高額ケーブルで1円の預金データーが1億円のデーターに変貌すると云っている様なもので、そんな筈は無いし、よしんばそうであると仮定して、ケーブルでデーターが変わってしまっては元も子もなく、デジタルの意味が無くなってしまうのではないか。
アナログの世界にもモンスターケーブルなどと怪しい事この上ないケーブルが多数存在するが、デジタルの場合もっと怪しいように思えてならない。
きっと原価率が途轍もなく宜しいのだろう、何も消費者がメーカーの努力、技術の結果でなく、まじない程度と云うか、原価率稼ぎに協力する必要は無いと思うが。
アナログの世界にもモンスターケーブルなどと怪しい事この上ないケーブルが多数存在するが、デジタルの場合もっと怪しいように思えてならない。
きっと原価率が途轍もなく宜しいのだろう、何も消費者がメーカーの努力、技術の結果でなく、まじない程度と云うか、原価率稼ぎに協力する必要は無いと思うが。
数年前のDACは「高速のDSPを使い・・・・高次フィルターで音が良い」と云っていたが、こうした高額なDAC製品はいつの間にか姿を消して
しまった。原音をいじって音が良くなる筈はないので、某オーディオ評論家は「プロのミキサーを使っているPCのソフトなので音が良くなる」と紹介している
が、レコード世代の僕らにはどうもピンとこない。先程も申し上げたが「レコードの音源を余すところなく色付けをせずに再生した音が良い音」なのだと僕らは
思っている。
過去にも原音をいじり「デジタルリマスターだから音が良い」などと言われたが触手は動かなかった。良いのはORGである。だからORGは高いのだ。
過去にも原音をいじり「デジタルリマスターだから音が良い」などと言われたが触手は動かなかった。良いのはORGである。だからORGは高いのだ。
さて、MCカートリッジの昇圧は御承知の通りトランスで昇圧しなければならないから、マニアは挙って質の良いトランスを求め、今ではすっかり希少化したWEやトライアッド、UTC、ノイマン、などに高額の出費を惜しまないできた。
中でもウェストレックスのトランスなどは性能も極め付きだが目玉が飛び出る程高額で、特にWEなどは腐っていても価格だけは素晴らしい。しかもこうしたプレミア付きのトランスが市場に出回る事は殆ど無いので入手は困難である。
僕はトライアッドHS-1付きのRA1474を手放した後、手元にはトライアッドのA-11Jが残ったが、以来MCカートリッジを使う気になれず、やっとELACのSTS322に巡り合って、今
では専らこの極めて優秀なMMカートリッジ(但しスタイラス次第なので要注意)を愛用していて、主要なレコードのPCへの取り込みがそろそろ終わろうとい
う時、Venetor_Sound(ベネター・サウンド)のMC昇圧アンプVT-MCTL(トランスレス)のプロトタイプの音を聴き、その印象を申し上げ
たのが2月だったと思うがそれが商品化されて、「トランスレス」などと名前も面白いので早速購入し今手元に有る。
2月にご紹介した記事を再度記すと以下のとおりである。
社長曰く「MCカートリッジの昇圧は微弱な音声信号を増幅するわけで、トランスはリアクタンスという周波数に反応する抵抗分があるので音が変わる、音が曇ると云われています。
ならば、入力信号の波形をそのままの形で増幅できれば望ましいのですが、如何せん増幅するには電源が必要で、電源部からの歪みが乗っていたら元も子もありません。
本当に微弱信号なのでIncubation(卵を孵化し手厚く育てる)が必要で、NFなんかもっての外で、その為に必要な電源を電池からであれば簡単に作る事が出来ます。
その考えで造ったのがこれ(MCTL)です」
僕には電気の知識が無いから理論的な事は解らないけれども、何よりも音が理論の正しさを証明していると云い切っても良いと思う。
この時からおそらく細かい改良が為されたものと推察するが、最も特徴的な事は、低音から高音までの音のバランスが抜群に良い事と、社長の云われる通り音に曇りが無い事だ。
如何なるトランスも、ウェストレックスやWEも僅かとはいえ音に曇りがある事は否めないが、それが全く無いのは上記の話しの通りである。
今、社長は、「粗悪な電源から粗悪な電気を回路に送り込む事はO-111の様なバイ菌を食らい込むのと同じで食中毒を起こすようなものだ」と云っている。
そして「回路上の特徴は電流帰還にある」との事で「電圧帰還より電流帰還の方が音が良い」という。僕には何のことやら解らないが、それは解らなくて当然で「散々聴き比べてみた結果であって理屈ではない」とのことだ。
社長がまた面白いことを言っていた。
「電圧帰還は測定のために良い・・・?」「電流帰還は電子のため良い・・?」
ますます解らん。皮肉めいた社長の命題の理解は至難だがMCTLは音が良い。それも非常に良いのだから僕にはそれで充分である。
新藤ラボで改良したスワン印のあの輝くようなSPU-AとRA1474の絶妙のコンビを悔しい思いで手放した経緯がある。「待て、しかして希望せよ」ではダンテスの境地だが、何やら人生を取り戻したような、そんな気分だった。
引き出しの奥に半分死蔵していた普通のSPU-Aが、まるでスワン印(新藤ラボの商標)のSPU-Aの様に輝いて鳴りだした。
イコライザーに組み込んであるトライアッドA-11JでもSPU-Aはそれなりの音を聴かせるがMCTLと聴き比べてみると随分中低音部が引っ込んで聞こえる。要するにA-11Jは音のバランスがちゃんと取れていない事に改めて気付いた次第である。
つまり、MCカートリッジを使う以上昇圧トランスが常にネックになっている事をこの事は示している。
カー
トリッジやアーム、プレイヤー、イコライザーなどが如何に良くても、此処で音が変わってしまう事はマニアならとっくに知っている事だが、電源トランスなど
と違って極めてデリケートだから特注して良い物が出来る保証は無いし、自作するのも不可能とは云わないが相当に難しいしまず碌な結果にはなるまいから、結
局プレミア付きのトランスを探すことに今迄なっていて、それが実状であった。
MCカートリッジで再生するレコードの音を何にも先立って最良のものとする。
アナログオーディオだろうがPCオーディオだろうが、これはオーディオの基本中の基本であり、そこをしっかり押さえたのはVenetorSoundのMCTLで、価格も含めてそれはこの会社の良心だと僕は思う。
ウェストレックスもWEもう必要ない。これで本当に良い音楽を正当な価格で聴く事が出来る。
これはオーディオの基礎だが、PCオーディオは更に発展する。
様々な音楽サイトから音楽をダウンロードしてアルバムを造ったり送信したりし始めると膨大な広がりを見せる事になる。
今現在でもFoobare2000やAmaaraなどの音楽プレイヤーをダウンロードして、簡便にPCの音楽を聞く事も出来る。
僕らが通常使っているPCは事務機器の域を脱しないが、これでオーディオの機器に変身させる事が出来ると言い換えても良いのだろう。そのダウンロードが何とタダだから吃驚する。
商業上のメカニズムがどうなっているのか不思議である。
この上300万円の機器を導入したら一体どれ程良い音に変身するのか或いは大したことは無いのか興味は尽きない。オーディオ専用のコンピューターなども開発されているようだし、アナログ時代とは比較にならない、オーディオそのものの幅と奥行きの無限の広がりを予感させる。
また、情報公開とでもいうのか比較的閉鎖的な楽しみだったオーディオが情報を共有する開放的な世界に変わってゆくような予感もする。
結構なことだと手放しで喜んでいるが、もう僕の様なコンピューター音痴が付いて行ける世界ではなくなってしまうだろうという寂寥感が否めないのはちょっと悲しい。
一方若者にはだから無限の音楽世界が待っている。墓場しか待っていない僕には羨ましい限りである。
斯くしてPCオーディオはオーディオの世界を変えてゆく。音楽の世界も変えてゆくかもしれない。ハイレゾ音源などを耳にすると一層その感を強くする。
しかし、オーディオの基礎がレコードの音溝を針で辿る再生音に有る事を忘れてはいけない。
エジソンが蝋管に刻み、エジソン自身が歌った「メリーさんの羊」、スピーカーが発して人が聴く音楽の原点がここに有る。
宇宙開発の基本も基礎が人間の住む地球に有るのとこれは似ている。
2011.06.01