2015年5月19日火曜日

我が、蹉跌のオーディオファイル #28
欲しかったスピーカー


オーディオに興味を持ち始めてから約40年程経つが、当初最も欲しかったスピーカーにクラングフィルム、(後にシーメンスオイロダインがある。
引き出しを整理していたらシーメンス当時のカタログが出てきて、オイロダインのスペックが載っていた。

ちょっと驚くのは再生周波数で、何と50Hz~15,000Hzとあった。今時数万円のスピーカーだって人間の可聴範囲20Hz~20,000Hz付近をカバーしている。

そこで、スピーカーの再生周波数に付いて一寸調べてみたら、どうやらこういう事らしい。
スペックがどの様な数字であるかは兎も角、「実際にスピーカーから出る低音の60Hz以下は音というよりも風圧として肌で感じるもので、強烈なドラムやベースの唸りの様な低音は大概80Hz~100Hzくらいである」という。だから、60Hzが出れば通常僕らが聴いているオーディオの低音に何ら不足を感じるものではなく、まして50Hzが出るなら映画館などの大鉄桟を巨大な大砲の発射音や炸裂音で揺るがすに実は充分な低音が出る事をオイロダインのスペックから読み取る事が出来るのだそうだ。

そして高音は「4KHz~6KHz以上の純音の音色を判別する事は非常に難しく」この辺りで音程に対する判断は鈍って来るものらしい。

僕らが聴く「スピーカーの音(無論録音前の原音も)を決定づけるのは純音ではなく倍音であって、倍音は整数倍で膨らんで、大体13~14KHzほど先からは殆ど聴こえてこない」ものらしい。
だから、オイロダインの50Hz~15KHzという周波数帯域はこれらの条件を低音で10Hz、高音で1KHzばかり其々上回っており、従ってオイロダインで聴けない音は無いといってもよいという事になるらしい。

だから、2~3万ながら矢鱈に周波数帯域の優秀なスピーカーが量販店などに出回っているのは、要するに僕ら消費者が悪いという事になるようだ。つまり、食紅で真っ赤な蛸しか買わないとか、胡瓜や大根や長芋も真直ぐなものしか買わないとか、そうした次元と同じ事で、本質よりも見た目を重視する発想と同じ理屈になると考えてよいだろう。

生産者は売れなければ困るから、食紅が体に毒だろうが薬だろうが兎も角真赤っかに塗りたてちまう。流石に近頃では暮れの御徒町でもこんな蛸は滅多に見掛けないが、一昔前は真っ赤っかが常識だった。食の安全が叫ばれる現在でも、野菜などは相当にいかがわしい色付けや型の細工、或は遺伝子の組み換え、延命処置などをしてあるものが出回っているようだ。

そういうものでなければ、僕らが買わないから、言い換えるなら、音が良かろうが悪かろうが最低でも20Hz~20KHz出る事にしなければ買う人が居ないから、メーカーは無理してでもこういうものを造るし、測定の仕方で再生周波数表示などどうとでも云える事でもあるから、何が何でもこれ以下の数字は発表すまいとする。
基より、こんな数字は音質には何の係わりもない事で、それは曲った胡瓜も真っ直ぐな胡瓜も味や栄養価に変わりが無いどころか寧ろひん曲った胡瓜の方が(自然栽培)数段勝るというのと同じ事であるようだ。

従って周波数50Hz~15KHzのオイロダインのスペックは、実質的に巨大空間における再生音に何の不足もないということを示しているのだが、既に各メーカーの宣伝文句に毒されてしまっている僕らは、この数字に目を疑い「そんな程度のものか」と吃驚して「大したこと無い」と見下してしまう。
でも評判は最高だから、それを僕らが住むマッチ箱の中の更に小さな書斎で鳴らそうと思う人もいる。結果的に手にはしなかったが自分がそうだった。

マッチ箱の中で鳴らすオイロダイン、実際は劇場の体積分の部屋の体積程度の実力も出せないのではあるまいか。

第一天井高が違い過ぎる。一般的な家庭用のスピーカーだって100%の実力を発揮させるには本当は5メートル以上の天井高を必要とするが、我々の住むマッチ箱の天井高は多寡だか2m半程度が通常の高さである。
単なる大音響ならば出そうと思えば出せるのかもしれないが、音楽としてはとても聴けたものではあるまい。今更ながらこんなものを買わなくてよかったと再度カタログを見直してそう思った。オーディオ関係者の誰もが口をつぐんで決して口外しないのは部屋と音響の関係に付いてである事は知っておいた方が良いだろう。
本当の事を言ってしまうと、メーカーも評論家も雑誌も売れなくなって都合が悪いから口外しないのである。当時本気で購入を考えていた事が「阿呆なことだった」とはそれを知った今だから言うことが出来る。

「クラングフィルム」、ただの社名だそうだが何とも響きがいい。これだけで部屋中に心地よい音楽が広がってくるような錯覚すら覚える素敵な名称である。
僕はドイツの映画館で映画を見た事が無いから、オイロダインの本当の実力は知らない。
旧日劇には確かWEの巨大なホーンが入っていて、解体時に誰がかっぱらうかと話題になったらしいから、日劇で観劇した人達は知らぬ間にWEの劇場音を聴いていた事になるが、クラングフィルムを使っていた劇場や映画館となるとまず聴いた事がない。少なくとも僕は知らない。
そのオイロダインを今頃になって某所で聴いた。

まあ、一般家庭ではあまり望めない広さの部屋にデンと置かれたオイロダインは壮観であり、愛想もこそもない如何にもドイツ的な武骨さが却って、変な例えだがローライの写りの良さの様な、カメラの武骨さとは真逆の効果を期待させるのと同様、見ているだけで素晴らしい音が聞こえてくるような気さえしたものだ。

期待に胸を膨らませていざ鳴りだしたこの時の落胆はだから筆舌に尽くしがたい。
音はか細く、妙に高音ばかりがガラスを引っ掻くような音でキーキー鳴りだした。
おそらく原因はオイロダインそのものではなく他に有ったのだろう。配線間違いとか、プレイヤー周辺、或いは真空管・コンデンサー不良、等々、そして何よりも部屋。
それにしても酷かった。

ドイツスピーカーが如何に優れたものかは日常聴いているつもりだから、その遥か上位機種のオイロダインがこのていたらくである筈が無い。いや、このような音で許される筈が無いと思ったが、これはオイロダインが悪いのではなくて、映画館の大空間に向けて、且つスクリーンの後ろに置いて鳴らすように出来ているスピーカーを書斎に持ち込むこと自体が間違いだと云うべきなのだろう。
ここで聴いたか細い音を完璧主義のドイツ人が母国の映画館で鳴らして、経営者も観客もそれで満足する筈はなかろうとも思った。

あの若かった頃、首尾よく入手出来ていたら僕のオーディオ人生は悲惨なものに変わっていたことだろう。何時か本当のオイロダインの音を聴いてみたいが、何処で聴く事が出来るのか今のところ当てが無い。

一昔前FMファンという雑誌があった。その創刊号のグラビアに野口さんという方のオーディオルームが掲載されていたが、この人は桁違いな人でコンサートホール程の広さのオーディオルームに有名どころのスピーカーがごろごろしており、壁にオイロダインが嵌めこんであったと記憶している。もしかしたら此処で聴く事が出来るかもしれないと思うが、とっくに物故されたのでどうにもならない。

カタログでオイロダインには2m×2mという平面バッフルを指定しているがこのサイズはどう考えても「最低これだけ必要ですよ」ということであって、何に依らず無限大を理想とするのが平面バッフルならば、オイロダインのバッフルが2メートル四方で充分というものではないにまっている。
然るに、その最低限の寸法だって家庭に持ち込むにはかなりの無理がある事が容易に想像できる。バッフルを左右の隙間なくピッタリくっ付けて置いても横幅4メートル必要である。

勿論これでは何かと不便だから実際は最低でも5メートル必要になるし、天井高は通常2.3メートルと考えて、部屋に入れるだけなら何とかなるだろうが、これもぎりぎりでは何かと苦しいだろうから少し余裕を持たせるとして3メートルほどは必要になるだろう。そしてバッフルの後ろにも最低2mほどの空間が必要になるし、今度はスピーカーから何メートル離れたところで聴くかを考えなければならない。最低でも8mほど必要とすれば、部屋の縦方向は10メートル以上必要になるだろう。長手10メートル、横幅5メートル、天井高3メートルが、オイロダインの最低条件のバッフルを置くスペースとして必要という事になる。
そしてこれは最低条件だから此処までやったからといって満足に鳴ってくれる保証はないのである。

メーカーも発売元も売れるものなら売りたいから、家庭用として組み上げる最低限の規格を無理やり発表した事を恰も証明するように、某所の音は再度云うが酷い音だった。低音など出てこなかった。
オイロダインはドイツスピーカーの代表格だから、ドイツスピーカーは劃して、つまりこういう物を家庭に持ち込ませようとしたから評判を落とし、我が国で普及しなかったのではないかと思われる。これは実に残念なことだ。

シーメンスにはコアキシャルという25センチウーハーの同軸上に9センチツイーターを装備した小劇場用のスピーカーがあるがこれを1メートル四方の平面バッフルに付けたものも他所で聴いた事があるが、オイロダイン同様Ⅰメートル四方のバッフルでは音にならないのだろう、これも酷いものだった。
カタログにはもう一つスタジオモニターの「オイロフォン」とかいうスピーカーも載っていた。
W460,H1050,D310、2WEY,7スピーカー、アンプ内蔵密閉箱。
中高音は口径の記載はないが8㎝ほどの物を拡散方向を変えて4個、低域用も口径の記載はないが20センチ程のコーンスピーカーを3個、という構成である。
「透明な音質は苛酷なまでに音源の判断を可能にします」とあるから、音という音は細大漏らさず再現しますよ、と云っているわけで、だからこそアンプ内蔵なのかと推察するが、「高域、低域共3db、6ステップの調整が可能」とあるし、「壁面に接近して使用できます」とあるから、敢えて業務用のスピーカーを家庭に持ち込もうというなら、大空間を要しないスタジオモニターの此方の方が扱いやすいかもしれない。尤も今でも発売しているかどうかは知らないが、カタログに記載されているくらいだから日本の何処かに存在するものと思われるので、何方か探してみられては如何だろう。

ヴァイオリンを弾く友人T君はELACの何とかいうスピーカーを使っているが素晴らしいとべた誉めである。僕は聴いていないから何とも言えないが、ELACSTS322というMMカートリッジを愛用しているので、同様の音造りであればべた誉めも当然かと推察する。ドイツの音造りにはイギリス、アメリカとはまた違った如何にもドイツらしい堅めの哲学の様なものを感じさせる。

WEに代表され、JBLやアルテックで一般化したアメリカスピーカーも僕らを魅了するに充分な魅力を持っているが、イギリスのタンノイやヴァイタボックスは音の品性に於いて遥かにアメリカ系を上回る。全てそうだという訳ではないが、概してアメリカ系のスピーカーはジャズ、ロック系の音楽に適しており、其れ程の品性を必要としないのは云ってみればお国柄かもしれない。

どうあれ、ドイツスピーカーの胸を張ったようながっちりした、且つ繊細な音造りの魅力が正しく紹介されていない事は、オーディオ大国日本として画竜点睛を欠くと云うべきだろう。

4、5年前、捨てられていたラジオから外したような、ボロボロのドイツスピーカーがネットオークションなどで出回ったが、こうした事を積み重ねた結果がドイツスピーカーの評判を落としてしまったのではあるまいか。あの手の8㎝ほどのスピーカーはおそらくラジオから外したものと推察され、もしそうなら所詮人の声さえ満足に聴く事が出来れば事足りるので、其れなりの性能にしか造られていないだろう。それを50円か100円か或いは1000円か知らないが塵の山から安く拾って来て、オーケストラを鳴らし「フィールドスピーカーで御座い。付いては20万円頂きます。此方は上等のテレフンケンなので100万円頂きます」、これでは評判が落ちるのも無理はない。

スピーカーで一番難しいのは箱だという事は今更めく話で、とうに皆様御承知の通りである。
ただ造るだけなら大工仕事でも出来るが、ユニットの実力を実力通りに鳴らす事はそう簡単に出来ることではない。
指定の寸法で造ったから音になるかといっても、まずまともな音になった例を僕は知らない。無論素人仕事でも偶然の大当たりが無いとは言えないが、エンクロージャーの自作ばかりは決してお勧めできるものではない。

尤も、どう造ったって、音は出るに決まっているので、願望から僕らはつい錯覚する、出来たてのほやほやの時は「なんて良い音だ」と思いたいのである。
そして、JBLアルテックのユニットを使っているんだから良い音に決まっているというブランドに対する先入観がまた僕らの耳を錯覚させる。

回路図通りに組み上げれば一応回路図通りの音が出るアンプなどとはわけが違って(これだって部品配置や配線方法等で俄然音は違ってくるが)目に見えない空気の振動に関する計算と現実の音の間には大きなギャップがあるようだ。
だが逆の事もあるだろう、コーラルのスピーカーユニットだって、箱を旨く造れば素晴らしい音に仕上がるかもしれない。今も云った通り偶然の産物が成功をおさめないとは云えないから、つい期待するし箱造りに嵌るのである。

この事は自作エンクロージャーに限った事ではなく、他社製造の箱つまり指定寸法に依る本職の仕事だってユニットがまともな音を出した例を聴いた事が無い。
まして、他社独自の設計によるエンクロージャーをや、である。

タンノイ然り、JBLアルテック然りオリジナルとの音質の差は歴然としている。
古くはヴァイタボックスのコーナーホーンに物凄い奴があった。大メーカーともあろうものがよくぞここまでやってくれたものだとほとほと愛想が尽きて、以来このメーカーの物は何によらず買った事が無い。こういう音造りを平気でやる音響メーカーを信用出来ないのである。指定寸法という触れ込みながら、どう造ったってここまで酷い音にはなるまいと思うが、それがちゃんとそうなっているのだから驚く。

件のラジオ用スピーカーも当然箱を作らねばならないが、素人仕事も本職仕事も含めてちゃんと音になった例があるんだろうか、甚だ疑わしい。

僕の知っている限りでは、自称スピーカーの専門家の造ったへんてこりんなバッフルなど随分杜撰でいい加減なものだった。言うまでもなく音は出ていたが音にはなっていなかった。
会社の大小を問わず、どういうものを造るかというメーカーのコンセプトは、要は経営の先見性に加えて教養とセンスとモラルを根本とする筈だから、これが無いメーカーは気楽なものである。何でも有りなのだ。要は「だからこのスピーカーは良いのですよ」という話を造ってしまえば良い。
僕らはだから自分の耳をしっかり信じて、良い悪いもさることながら、好きか嫌いかをしっかり耳で判断したら良いのだろう。JBLだから好きなのではなくて、眼をつぶって聞けば自分の好き嫌いは誰に教えてもらわずとも基よりはっきりしている筈だ。

その耳で是非ともちゃんと整備されたドイツスピーカーの音を聞いてみては如何だろう。
ただし、どうしてもオイロダインをというなら、閉館した映画館を買ってしまうのが早道だろうから相当の費用も必要になるに決まっている。だが、価値はあると思う。
勇者の出現を期待して、是非とも聴かせて頂きたいものだ。

         2012.09.06