2015年5月19日火曜日

我が、蹉跌のオーディオファイル #27
真空管かトランジスタか


今更めくような話だが、もう随分前ライカかコンタックスか、要するにどちらが優れたカメラかを巡って大の大人が頭を沸騰させ、文字通り口角泡を飛ばして口汚くののしり合った何とも楽しい論争があった。

議論は尽きず、出る訳の無い結論は遂にというかやはり出ずに、デジカメの出現でフィルムカメラが衰退するという決定打を食らって、つい先日まで古老達が忘れかけた記憶を呼び起こして細々と論争を繰り返していたが、そうした光景も最近では殆ど見られなくなり、結局有耶無耶に終わってしまった。
議論そのものが不毛という以外になかったから、結論が出なかったのは当たり前だったにせよ、何とも愚かで楽しい論争だった。こういう愚かさが人生に味を付ける。
そして、こうした論争を冷ややかに俯瞰する人がいるのも人の世の風情というもので、全く愉快であった。

個人的な感想だが、カメラの姿、使いやすさではライカが良いと思ったし、写り、特に広角系はコンタックス、つまりツァイスのレンズが優れていたように思う。
一時ライカDⅡに通常では付ける事の出来ないツァイス・ビオゴン21ミリを加工して取り付け、使った事がある。金が必要で売ってしまったが、これ一台で普通の風景なら撮れない写真は無かった。素晴らしい出来栄えのカメラに仕上がっていたと思う。
要するに良いとこ採りをしたわけで、通や収集マニアから云わせれば言語道断の暴挙だったのかもしれないが、通がどう云おうと良いものは良いので、何もかもが純正でなければならぬと決めて掛るのは「なんでも鑑定団」に任せておけばよい。実用の世界では何でもありの良いとこ採りは大いに結構なことだと僕は思っている。写真は撮った写真が良くなければ意味がないから「カメラは写真を撮る道具に過ぎない」と言い切る人も居る。

そう聞くと悟り切ったようなもの云いが何とも味気無くて面白くない。

それを「オーディオは音楽を聴くための道具に過ぎない」と置き換えてみると,今度は味気ないばかりでなくて、色々工夫して高音質を目指し、泣き笑いを繰り返してきた人達にはある意味不愉快ですらあろうが、真実は突いている。
その昔、オーディオの世界にも真空管が良いか、論争にまでは発展しなかったもののライカ、コンタックス論争同様真空管かトランジスタかを巡って不毛なやり取りが一部にあった。当時のトランジスタ技術の未熟もあってか、大方の通は真空管に軍配を上げていたように記憶する。
新技術を否定する行為は、何やらその道に通じた権威的印象を他に与えるという効果も重宝されたのかもしれない。

僕は通ではないが、柄にもなく真空管の軟らかく優しい音の方が好きで今でも真空管アンプを使っている。
アンペックスWEの回路でイコライザーを組上げた事を数回前の駄文でご紹介した。

無論真空管である。

我ながらよい出来栄え、と云うのは間違いで、アンペックスWEが如何に優れた技術を持っていたかが実証出来たと云うのが正しいが、出来上がったイコライザーの自画自賛はイコールアンペックス、WEへの賞讃だから、間違ってはいないと確信しており、僕などが今更くどくど言うまでもなく、真空管の音は素晴らしい。
惜しむらくはもう少し合理的な部品配置と配線をし、もう少し工作技術が良ければ、更なる高音質を期待できたかもしれない。こういうところは素人の手に負えるものではないと思う。
また、球によって音が変わってゆく楽しさを味わえるのも真空管ならではの事で、トランジスタを変えて音の違いを楽しもうというのはちょっときつい。

そんなこんなで、40年来真空管を使ってきたところへ、VenetorSoundVT-MCTLというヘッドアンプを導入した話も以前お話しした事がある。
このヘッドアンプは明らかに昇圧トランスよりも僕の好みに合っていたので、その日の内に付け換えたことも合わせてお話した。その時触れているので細かい事は省くが、透き通った明快な音である。
トランスの音に対して、人には云えぬ密かな不満や悩みを持っている方は一度聴いてみる事をお勧めしたい。多分欲しいと思われることだろう。
音楽によってトランスと置き換えてみるのもまた一興というものである。
このヘッドアンプは真空管ではなくトランジスタを使用している。
見直したというか、多分に食わず嫌いの面が強かったトランジスタも使う箇所に依っては遥かに真空管を凌ぐことをMCTLは実証したと言って良いだろう。

ライカにツアイスを取り付けるくらいだから、良いものは無条件で採用する「結果良ければすべてよし」は信条でもあって何の抵抗も無かったのである。

この開発から数カ月して、彼等はモノーラルイコライザーアンプVT-MPEQを発表した。
音の傾向はMCTL同様、すっきり、明るく、明快な音である。
嬉しいのは、国際規格のRIAAとNABCOLOMBIAAESRCAとアメリカ系4種類のイコライザーカーブの切り替えが出来るのに加えて英デッカのFFRRが選択できる事である。
計6種の切り替えが出来る。




僕はクラシック主体だからFFRRは実にうれしい。
今迄RIAAで聴いていて、何処かくすんだような音で鳴っていた英デッカ盤が、霧が晴れた様な、まるで別物のレコードのように艶のある音を響かせた。今更ながら英国の音造りの品性と奥の深さを聴いたように思う。
カーブの違いなど実は耳を澄ましてよく聴かねば聴分けの難しいものだと思っていた。
偶々このレコードが大当たりだったのかは分からないが、こうまで違ってくるとは聊かビックリである。

聴いたレコードはデッカの黄色ラベルの10インチ盤、レコード番号LX-3083,バックハウスとクレメンスクラウスのベートーベンピアノ協奏曲2番である。ジャケットにもラベルにもでかでかとFFRRと耳のマークが印刷されており、要するにFFRRという録音技術で録音されたものである事が示されている。余談だがFFRRというのは本来再生カーブを示すものではなく録音技術の略称である。だから真逆のFFRRの再生カーブで再生するのがベストだという事になる。しかし「FFRRと印刷されていてもリマスター盤などはRIAAでカッティングされているレコードもある」と言う研究者もいる。
言に拠ると「それを正確に確認するにはマトリクス番号(レコードをプレスする鋳型の番号)を確認する必要がある。マトリクス番号はレコード内周の無音部分に(更にレーベルのレコード番号の上に何故か逆さに印刷されている)刻印されていて、デッカとロンドンに限っては、リマスター盤には番号の末尾にRの刻印がある。それはRIAAである」そうだ。
僕のレコードはDRL-1291-2Bだから紛れもなくFFRRで録音されカッティングされた英国デッカ盤ということになるのだろう。従ってFFRRの再生カーブで再生するのがベストだったわけで、上記の高音質が得られたことになる。

ステレオ時代に入るとデッカの録音技術はFFRRからFFSSに変更され、デッカ及びロンドンのステレオレコードのレーベルにはFFRR同様FFSSの印刷がある。ラベルの上部や右肩等に丸く紋章のように印刷されているのですぐ分かる。
デッカやロンドンはこのように録音技術だけは明示しているので、ある程度再生カーブの見当をつけることが出来るが、世界各国各社の幾多のモノーラル再生カーブに関しては各社実に曖昧であるらしく、ロールオフとターンオーバーとローリミットの3要素がバラバラに、しかも複雑に入り組み、高域はAESで低域はCOLOMBIAに近いというような録音が為されているものもあって、単純にこれは純粋なAES,或はNABと決められない要素も多々あるようだ。

それなら、録音技術者某の感覚で録音されたそのテープをカッティング技術者某の感覚でカッティングされプレスされたレコードのカーブがどの規格に近いか、という逆の発想で考えた方が分かりやすいのかもしれない。が、要するに雲を掴むような話である。

僕ら日本人は決め事を律儀に守ろうとするが、欧米諸国民はそうではなくて、特に音楽録音は芸術に関わる仕事だから尚更、会社の規格を正確に守っていたのでは質の高い仕事が出来なかっただろうと推察できるし、仮に規格を守ったとしても、原音に依ってカーブの微調整をしただろう事は寧ろ当然と云ってよいのだろう。
マトリクス番号にはそれを裏付けるような文字が刻印されているという。
DRL-1291-2BのBのことである。これが何を意味するかを調べた人も居て、どうやら録音技術者のイニシャルではないかとのことだから、もしそうなら音造りの大半を担う録音技術者の音楽的センスと教養がこの一文字に凝縮されている事になり、それが正しいなら所謂通には重要な文字に当たる事になる。
その文字から、あの技師の録音かと分かる人がどれほどいるかは知らない。余程の専門家でなければ分かるまいから、当然こうした刻印が消費者に向けたものでないことの検討はつく。一種の内部資料のような意味合いなのだろう。

レコードの音楽性と音質を決定するのは何なのかを言うなら、盤質(盤の素材)と正にこの録音及びカッティング技術者の音楽的教養とセンスに尽きるのだろうと常々思っていた。
どんな原音もそして録音技術も最終的には彼らが調整した音で録音されカッティングされる。
その技術者達がどの様な職人技を見せるのかがレコードの質と価値決定の勝負どころならば、今も言ったように様々な原音に対して、技術者としては決められたカーブだけに固執していて満足出来る筈はあるまいから、各メーカーの規定のカーブですら正確に守らなかったというのは充分に推察できることであり、寧ろ当然の事だったと言っても過言ではあるまい。
しかし、業界全体の事を考えるなら大筋の規格は統一しなければならない。という事も一方の論理であり、それもまた当然の成り行きだったろう。

が、こういう話もある。

他の研究者に拠れば「ステレオ時代のデッカはFFSSを最後まで貫いた」そうだから、ならばRIAAは無視していたことになり、そうならリマスター盤ばかりでなく「1955年頃以降デッカはRIAAに移行した」という前出の研究者の説は間違いだということになるのか。
どっちが正しいか僕には分からないが、以下の事は事実である。
所持している英ロンドンのLL 632/633の2枚組、エーリッヒ・クライバーとウィーンフィルの第9。箱にもレーベルにもでかでかとFFRRと耳の印刷があるが、一面のマトリクス番号はARL 1295-2D Rとあるから前者の説によればリマスター盤という事になる。
聴いた限りでは明らかにRIAAの再生が優れていた。

もう一つ、所持しているロンドン盤スタンレー・ブラックのポピュラーの2枚。一方にはマトリクス番号の末尾にRの刻印があり、一方には無い。盤質も明らかに前者が新しいから前者はリマスター盤後者は初期盤という事になるが、双方共ジャケットに「FFRRで録音された世界一優秀なクオリティーを持つレコードであるが、RIAAカーブで再生せよ」と記述があり、成程これも明らかにRIAAでの再生音が優れていた。

という事はFFRRでテープに録音し、RIAAでカッティングしたという事になるのだろう。そして、双方共ラベルにMade in Englandの印刷のあるアメリカ発売のロンドンレコードである。

デッカとロンドンのレコードで注意すべきは、FFRRFFSSの表示は飽くまでもFFRRFFSSという録音技術で録音されたという表示であって、必ずしも再生カーブを表すものではないという事になるのだろう。先にも云ったがこれらは録音技術の略称だから表示の間違いではないという事になる。
RIAAが国際規格になって以降のリマスター盤に関してはデッカに限らず初期盤とは再生カーブが違う可能性があるようだ。何れも要注意である。常識的には大概RIAAと考えるのが妥当なのだろう。(無論聴いてみなければ解らない話だが)どうあれ、表示されている録音技術と再生カーブを混同しないことである。

また、こういう事もある。

デッカはFFRRでもFFSSでもそれらで録音したレコードには必ず分かるところに表示しているのだが、「その表示の無いレコードがあって、それは何らかの理由でRIAAで録音されたものかもしれない」という説である。
しかし、FFRRより以前のオールドデッカの録音と言うのもあるらしいから、そういうものには当然何の表示も無いわけで、それがRIAAだとは思えない。
某世界的音響メーカーの資料によればSP時代のデッカが既にFFRRであったようであるし、某研究者に依れば1953年頃以前のデッカカーブをオールドデッカとするのが妥当らしく、その場合は高域をRIAA,低域をAESにすれば代替え出来そうだという事である。
どうにも解り難い。

が、更にこういう事もある。

無表示のデッカ盤を僕は持っているが、箱はアメリカのものである。二組持っておりどちらも同時代のレコードと思われる。
この二組を聴いた感じでは、一組はRIAAが良く、もう一組はFFRRが良かった。米デッカはRIAAだという説もあるが、デッカの鋳型を輸入してプレスしているものもあるというからいよいよ分からない。
僕の聴いた感じというのが錯覚だったかもしれない。

このレコードはゴールドラベルとやらいうもので、通常のデッカのラベルとはちょっとデザインが違う。察するにアメリカ録音であったかもしれない。では再生カーブはなにが正解なのか。
分らん.分らん。
更に、FFSSFFRRの名称を単に変更しただけのことだ、という説もある。ならばFFRRFFSSの違いはモノかステレオかの違いだけで録音技術そのものに変わりはないという事になる。その場合カッティングはどういうカーブでなされたのか。
諸説紛々である。奇怪と云う以外にない。

デッカ一つがこの有様である。しかもデッカは録音技術だけはきちんと表示しているからこれでも他よりも遥かに見当を付けやすい。
こんな次第だから、再生カーブに関する研究者が異口同音に出す結論が「最終的には耳で確認するしかない」というのはきっとそれが正解なのだろう。
だからという訳ではないが、僕も選んだカーブが正確であろうが無かろうが、自分の耳に心地よいカーブを選んで聴く事にした。
理想を言うなら、ロールオフとターンオーバーを独立させ無段階可変式にして一枚一枚聴きながら調整するというのが良いのかもしれない。
しかし、この場合耳に依って選択したカーブが録音時のカーブと一致するという保証は全く無い。ならば、各レコード会社の(全世界にかなりの数がある)データ一覧表を基にして、基本の数価を目盛りで押さえてから微調整してゆけば良いのかもしれないが、各社のデータそのものが上記のごとく曲者だから、本当のデータが揃うという確証はない。
確かな事がある。

RIAA以外のカーブで録音、カッティングされたレコードの再生は、RIAA以外の何れかのカーブで再生した方が良いに決まっているという事で、ちょっとくらい誤差があっても随分音の輪郭がはっきりしてくるし、音に艶が増してくる。
引っ込んでいた伴奏が俄かに明瞭さを増したり、熊手でドラムを引掻く音が鮮明になったりする。
先のDRL-1291-2Bばかりでなく、米コロンビア盤、レコード番号RL-3068,良き日のカラヤンとウィーンフィルのベートーベン5番とモーツアルト39番、はその名の通りコロンビアカーブでぴったり符合。RIAAで聴くのとは全く別物の鳴り様である。
細部まで明瞭であり、何よりも迫力が違う。RIAAだと何処か掠れたような音がしていて、長い間放ったらかしておいたレコードが見事に甦った。


この様にぴったり壺にはまった時の音はまったくこたえられないから、つまり、これ等再生カーブが符合したレコードは録音技術者・カッティング技術者が意図した音に極めて近いところに到達していることになるから、それを可能にするMPEQ一度聴いてしまうとSPやモノLPの再生には欠かせないアンプになる。
カーブの問題は知りさえしなければRIAA一つで充分だが、その違いを知ってしまうと間違い無くそれだけでは済まなくなる。
そしてモノを2台使えば当然ステレオで使える訳だから、某研究者がおっしゃる様に「ステレオ時代に入っても国際規格のRIAAはあまり守られなかった」というのが事実ならば、モノ2台でステレオとし、且つ6種類のカーブが選択可能な究極のステレオイコライザーアンプとなるわけで、ベネターサウンドの廻し者ではない事をお断わりした上で、こうした使い方も大いにお勧めしたいところである。

僕は実際に試してみたが、カーブの問題はさて置き、音の素晴らしさは抜群だった。
トランジスタ臭さが無いのも不思議である。評論家ではないから尤もらしいスペック的な解説は出来ないし、意味も無いので、一度貴方の耳で確かめてみる事をお勧めしたい。
寧ろ真空管派の方にお勧めしたいとも思う。
型を知った上で型を破る、殻を破ることから進歩が始まり新しい世界が開けてくることはオーディオも例外ではない。しかしその一歩が踏み出せないというのも人情だから、それも良く解る。しかし、一度聞いてみる事で知識と経験が増えることもまた確かであると思う。
それに、クラシックではこうした再生カーブが複雑に入り組んだモノ時代に名演奏が多い。
それをより良い音で聴く事が出来ると云うのは至福という以外にないが、ジャズやその他の音楽ではどうなのだろうか。ブルーノートなどはRIAAとはかなり違うカーブの様だが。ジャズはこのレーベルに名演奏が多いと聞いている。
今迄聴こえなかったかすかな伴奏音などが聴こえてくるかもしれないし、音場の雰囲気がより生々しく伝わってくるかもしれない。それは古いライカの描写にある空気感の様なものと言ってもよいのだろう。
このMPEQ,メーカーがトランジスタだと言っているのだからトランジスタなのは当り前で真空管ではない。しかし、今も言ったように、真空管かトランジスタかという比較レベルの音の差が聴き分けられない。

今までずっとプリアンプは使わずに、真空管イコライザーをメインアンプに直結して聴いてきた。MPEQにはVRが付いていないのでプリを通す事になるが、真空管イコライザーとの音質の差は無いように聴こえるのである。
或いは此方の耳が悪いのかもしれない。
だが、論争の結論だけはどうやらMPEQで出たようだ。
音さえ良ければどっちだって良いではないか。まぜこぜで使ったって一向構わない事ではないのか。

純正で半腐りのWE部品で半腐りの音を聴くよりも、ものによっては技術革新の著しい部品を使った音の方が良いかもしれないし、WEをやるなら、WEの回路を利用して高品質の部品で組上げる方が今や優れたものが出来ると僕は思う。腐っても鯛という事は理解できるが、半世紀前の古物を使って当時の音質を再現する事は極めて難しいだろうと思う。
オーディオは今やNETオーディオの時代に入っている。

どうしても真空管でなければと思うのはパワーアンプくらいのものではなかろうか。
こればかりは原理が発明されてから(125年前から)その原型を変えていない、或いは変えようの無い化石オーディオ機器「スピーカー」を駆動させるのが仕事のアンプだから、特に古いフィールドやアルニコのスピーカーにはどうしても「真空管アンプ」を必要とするのだろう。
オーディオで最も重要な部分がガリガリのアナログ機器であり続ける以上、アルニコを使っている僕として、真空管を切り離して考えることは現状では出来ない。
だが、先日某所で聞いた大型コンデンサースピーカー(ソニー製)の音はしかし、真空管では十分に鳴らないかもしれないという印象を受けた。

何事も一概に言い切ることは出来ない。適材適所ということだろう。
オーディオに於いて信ずるべきは、他人の百万言よりも唯一自分の耳のみである。
真空管が良いかトランジスタが良いかは「どちら」と軍配の上げられない話なのだろう。

自分が聴いて心地よい方を選べばよいのだと思う。

2012.07.12